『アンダーグラウンド』/1995/監督:エミール・クストリッツァ/仏・独・洪/カラー/2012.1.9記 ----------------------------------------------------------------------- ラジオ収録旅行の最終日に見たので放送収録はされていない。だが旅行中ではもっとも興奮させた映画であった。 それはユーゴスラヴィア紛争まっただ中に作られ、その政治的姿勢を問われ物議を醸し、パルムドールをとった過去の映画であった。正直、堅苦しい題材だし3時間もあるので、旅行最終日ということもあり眠ってしまわないか不安だった。しかしそれは杞憂に終わる。予想外に開幕から爆音で吹き荒れるジプシーミュージック。一度聴いたら耳から離れない管楽器の狂演。酒を浴び、踊り狂うキャラクター達。劇中で割られた酒瓶の数はいったい何本だったのだろうか。 大抵は自分の頭で割っている。眠る暇など与えない、眠ることを許さない強烈なインパクト。 重い題材だが、狂騒に満ちたコメディ映画。 ユーゴスラヴィア出身の監督の、ユーゴスラヴィア出自が大半を占める役者による、ユーゴスラヴィア映画。結果的に映画製作から約10年後、名実ともにその名を冠する国家は消滅することになる。だが国家とは不思議なもので、政治上消滅したとしても、その土地、そこに生きた人々は今も生きている。 紛争中につくられた当作品は、失われたかつてのユーゴスラヴィアを懐かしむような描写から、独立された諸国家に対する大セルビア的思想だとして批判された。だがその時代に生きた人々にとって、過去の国はそんな機械的に割り切れるものなのだろうか。事実として民族・文化の違いは存在している。だが当時はそんな連中が互いに酒を交わして楽しみ、諍いもあり、そうして暮らしていたという事実もある。政治的な理由、民族自立という概念のために、嫌いだった者も、好きだった者へも互いに銃を向けなくてはならなくなった紛争時代。 民族自治といえば聞こえはいいが、かつてそのような寄せ集めで国境をひいたのはなんだったのか、帝政下を脱却すれば、王政で寄り合い所帯、さらに欧州列強の影響で民主化、今度はファシズム、さらには社会主義下で西側とソ連との狭間に揺れ、冷戦終了に伴い東側・西側体制が有名無実化した結果に民族自治運動が高まり、寄り合い所帯は瓦解した。いつだって誰がはじめたのか解らず、一握りの人間の都合で左右されてきた。 地下に生きた人々は、記憶から消し、忘れようとした人々だ。 酒を浴び、暴れまわり、ブラスバンドと踊り狂い、瓶を自分の頭で割る。 笑い叫び続けたコメディだ。 ――この物語に終わりはない。 眠ることなど許されないのだ。 ----------------------------------------------------------------------- 執筆:ヒロト |
2012年1月9日月曜日
映画 『アンダーグラウンド』 眠ることなど許されない
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