「シネマノスタルジア」ライター紹介 当ブログで記事を書いていただいている方の自己紹介です。更新される記事の傾向とかも掴めるかもしれません。ライターさんが増えれば随時追記していきます。 01 【ヒロト】 当ブログの代表管理人のヒロトです。普段ネット上ではイラストとかを描いていました。過去形なのは現在休業中だからです。色々あってね。他に何やっているかと聞かれれば、主にtwitterで適当な事を呟くだけの簡単なお仕事をしたり、ラジオとか、このブログみたいに他の人を道連れにして行き当たりばったり企画を乱発するのが趣味です。漫画を乱発してはセルフ打ち切りするのも好きです。映画では主にサスペンス系が好きです。その中でも不思議の国のアリスの様に変な世界観のものが特に好き。作家ではタルコフスキーとかゴダールとか押井守とか、最近の人ではノーランとかですね。映画以外では、読書と音楽とhydeが好きです。完全インドア系です。読書量は減りましたが、新書とか積むのが好きです。音楽はV系が主に好き。レディオヘッドとか祈りの様な鬱さが好き。hydeが好き。ゴスロリも好きですが、着ません。誰か着て下さい。元々、人形遊びが好きなので、最近可動フィギュアが熱い。hydeが好き。 _____________________________________________ 02 【ツン】 ツンです。twitterで映画とか色々つぶやいたり、イラスト描いてpixivとかにアップしたりしています。同人活動しているので、サークルブログも放置気味ですが一応やっています。モンスター、SF、スプラッター。ファンタジー。カルト。あとなんかゆるい感じの映画とか好きです。漫画描いたりイラスト描いたり油絵描いたり粘土で何か作ったり。あとカメラもってブラブラすること。カラオケで特撮系の熱い曲や筋肉少女帯とかを熱唱することとかもいいですね!。 _____________________________________________ 03 【うづき】 初めまして。うづきと申します。普段は「やる夫の日常は生き地獄のようです」というスレを書いている非リア充で、昔の活動の影響でミュージカル映画をよく見ます。 ですが、趣味の紅茶と違いそこまで映画に詳しくないので記事を書くのにも一苦労です。思い出補正のせいかリチャード・ギアは特に好きな俳優なのですが、あんまり作品を見ていない現実。ミュージカル系以外にも007やゴッド・ファーザーなどは繰り返し見るほど好きですかね。まぁ節操無し、と思っていただければわかりやすいかと。ともかく、今後も王道系の作品を取り上げた記事を書いていくつもりですのでどうぞよろしくお願いします。 _____________________________________________ 04 【御花畑るん】 御花畑るんです。ツイッターに、スカイプ、ニコニコ動画を飲酒しながら眺めているという……。映画ジャンルとしては、主にモンスターパニック、ゴシックホラー、主にレトロな映画を見ていることが多いですね。1920~1960年代の映画を鑑賞している率が高いでしょうか。映画以外ではゲームですねー。SLG(シミュレーションゲーム)が特に好きです。 _____________________________________________ 05 【ドーガマン】 どうも初めまして。ドーガマンと申します。普段のネット上の活動といえば、やる夫スレを作ってヒイコラ言っています。映画では主に好きなジャンルといえば……やはりといいますか、過去に生業(!)にしていただけにアニメですかねぇ。映画以外では、手広く趣味にさせていただいております。広く、ただし深さはくるぶしくらいです。 _____________________________________________ 06 【みじゅ】 どうも。みじゅと申します。普段適当にネットで某掲示板だの某掲示板だの覗きつつグダグダとオタクライフを満喫しています。映画に関しましては雑食ですが基本的に洋画より邦画の方が好きです。洋画は理屈としては理解出来ても心情的な面ではどうにもやはり社会風俗や通念、倫理道徳の差なのか、奥底から「おおっ」となれるものが少ないように感じてしまうのですね。映画以外だと概ね読書とかその辺でしょうか。最近は懐ゲーのリメイク版とかプレイしては思い出に浸っています。どうもでした。 _____________________________________________ 07 【matsu】 初めまして、matsuと申します。僕は元々アニメやマンガ、ゲーム、プロレス・格闘技などが好きなふっつーのオタクで、映画についてはTVで放送されているのをたまに見る程度でした(特撮やホラーはオタクの領分なのでそれなりに見てはいましたが)。僕が映画をよく見るようになったのは、伊藤明弘氏、広江礼威氏、園田健一氏といった方々の作品、すなわち「マンガ」がきっかけでした。カット割りや構図、台詞まわしにスピード感、はたまた判る人には判る小ネタなどなど、「映画の影響を受けている」と評される方々の作品を拝読するうちに、「これは俺も映画を見て勉強せにゃならんのではないか」と思い立った訳です。そう思い立ったのが4年程前でしたでしょうか。ちょうど近所のTUTAYAやGEOが100円レンタルキャンペーンを開始した事も相まって、「年間300本映画を見る!」と目標を立てて、前述の先生方が名前を挙げているタイトルを中心に見まくりました(アクションや戦争もの、SF、コメディなどが多かったと思います。今でもその手のジャンルの作品が好きですね)。結局なんとか250本くらいは見る事ができたと思います。初めて見る作品で得た感動や、昔見た作品を改めて見直しての新たな発見など、大いに自らの糧となりました。 そのお陰で今も映画を見る習慣がつき、一言感想などをtwitterにちょいちょいUPしていたところ、ヒロトさんにお声かけいただき、当ブログに駄文を載っけて貰える事になりました。 なかなか纏まった文章を書く機会のない素人の文章なので、御見苦しい所もあると思いますが、ご容赦くださいませ。 _____________________________________________ 08 【ゆとり王】 ゆとり王です。普段ネット上では、ローゼンメイデンのイラストとか見たり描いたりしています。ツイッターなどもしています。アカウントはyutoriouです。映画ジャンルとしては、アニメが好きですね。レイアウトをみたりカットの数などをカウントしたりもします。映画は何でも飽きなく見る事が出来ると思います。あえて好きなモノをひとつと言われると、「ターミネーター」がどうしてもインパクトが大きくて、好きですね。映画以外で趣味といえば、古書店街めぐりというか神保町探索です。いろいろな本を探して、読むことが好きです。評論文などを比較的多く読みます。 _____________________________________________ ----------------------------------------------------------------------- 記:ヒロト/ツン/うづき/るん/ドーガマン/みじゅ/マツ/ゆとり王 |
2012年2月28日火曜日
【案内】 「シネマノスタルジア」ライター紹介 ※合同記事
2012年2月26日日曜日
映画 『アッシャー家の末裔』 音を感じさせるサイレント
『アッシャー家の末裔』/1928/監督:ジャン・エプスタン/仏/モノクロ/2012.2.25記 ----------------------------------------------------------------------- アッシャー家当主ロドリックに誘われた、彼の友人が訪れた不気味な洋館。友人がそこで目の当たりにしたのは、何者かに取り憑かれたようにして、妻の姿を描き続けるロドリックだった。不思議なことにロドリックの描く肖像画が美しく再現されていくごとに当の妻は生気を失っていくのだった……。エスプタンが実験的に撮影した映画と言われ、原作はエドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』をベースに『楕円形の肖像』と『リジーア』を加えアレンジされている。 サイレント末期の傑作と謳われる本作はそれまで撮られた数々の怪奇幻想映画の集大成のような多彩な手法に彩られ、ポーの幻想的な世界観を見事に表現している。 映画を詩に例えたエスプタンらしく、荒廃的でありながら美しく描かれる舞台や表現がとにかくゴシックホラー好きな私をグイグイと画面に惹きつけてくれるのだ。 不気味な生き物が映し出されながら描かれる漆黒の闇に包まれた階段、蝋燭が無数に立ち並び甲冑や柱時計に囲まれた鎖だらけの洋館……。これをまた影とアングルを多用した構成で映し出すため奥行きを異常に広く感じさせ、こちらの不安感を煽ってくれるのだ。後に撮られた『魔人ドラキュラ』のドラキュラ城を彷彿とさせる、この演出は当時としては非常に斬新なものであったのではないだろうか。 演出部分にも様々な工夫が見られる。どちらかと言えば舞台的な動きを重視するため、役者や映画のキーとなる具体的な事例以外には動きを必要としていない感のあるサイレントにあって、実に細やかな画面の動きに気を配られており、サイレントにもかかわらず一つ一つのシーンから音が聞こえてくるような画面作りにも目を見張るものがある。 その上、本作は映時間の短さに加え、上記で記した映像的な魅力も含め、サイレントに興味はあるもののなかなか手を出すには……という方にとって、実際に触れてみる良いきっかけとなる映画になるのではないかと思わせる映画だ。 サイレントからトーキーになる過渡期の映画として非常に美しい。また後のゴシックホラー独特の妖しい絵作りの萌芽を感じさせる良作である。ぜひともご堪能の程を。 ----------------------------------------------------------------------- 記:るん |
2012年2月23日木曜日
映画 『極道兵器』 坂口アクションの前に銃器は不要!?
『極道兵器』/2011/監督:山口雄大・坂口拓/日/カラー/2012.2.22記 ----------------------------------------------------------------------- 片腕をバルカン、片足をロケットランチャーに改造されたヤクザが父親の仇を討つため大暴れ!な映画。 石川賢の漫画の実写版という事だが原作は未見。なわけでどれくらい原作のエッセンスを抽出しているかはわかりませんが、ただ映画全体に漂う荒唐無稽さや理不尽さからなんとなくその臭いは感じるなぁと思いました。 主演は『VERSUS』、『魁!男塾』などで驚異的なキレのマジ当てアクションを見せ付けた坂口拓。 映画の目玉はやはりヤクザが体に組み込まれた兵器を駆使して敵をバンバン倒していくという所なのだろう。 だが、坂口拓のアクションがあまりにも魅力的過ぎて、むしろ飛び道具なんて野暮なものを駆使されるとかえって興ざめするという非常にバランスの欠いた映画でもある。とにかく生身でのアクションのキレが凄い! 後半超長回しの1カットで延々と敵を倒し続けるシーンは圧巻。それだけのために見る価値はありかと思います。今日本が誇る素晴らしいアクションスターだと思うんでもっと活躍して欲しいなぁ…坂口拓。 ちなみにこの映画ってスシタイフーンっていう、こんな感じのB級テイスト全開でヤクザとかニンジャとか外国人ウケしそうなエッセンスを詰め込み、間違った日本文化全開のバイオレンス映画を連発しているレーベルなんだけれども、さすがのボンクラ映画好きの自分でもそろそろ食傷気味かなという気がしないでもない。一応『ザボーガー』と『冷たい熱帯魚』もこのレーベルなんで、それが少し救いと言えるだろうか。 しかしこれはこれでアメリカで言うところの『悪魔の毒々』シリーズでおなじみのトロマみたいなものだと思えば、このままショボいカルト街道を爆進してもらうのもいいかなぁ・・・なんて思っていたりなんかもして。 ただ自分の趣味としては着ぐるみや特殊メイクがショボイのはそれはそれで味わいがあってよし!と楽しく見れるのだが、CGのショボい映像ってのは結構キツかったりするんで、トロマと比べるとどうしても落ちる感じがしてちょっとツライと感じる面もあったりするんですよね…それさえなんとかなれば個人的にはどこまでマンネリでもついていけるんですが!とにかくがんばってもらいたいです。あ、途中からもう極道兵器のレビューじゃなくなってる(笑) ----------------------------------------------------------------------- 記:ツン |
2012年2月22日水曜日
映画 『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』 凡庸な波
『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』/2010/監督:エマニュエル・ローラン/仏/カラー/2012.2.20記 ----------------------------------------------------------------------- 映画史でも、60年代にあらゆる革命を行ったとされるヌーヴェルヴァーグ運動の旗手「フランソワ・トリュフォー」監督と「ジャン=リュック・ゴダール」監督、そしてその間に挟まれて苦悩した俳優「ジャン=ピエール・レオー」を中心に描いたドキュメンタリー映画。非常に貴重な資料映像が魅力的だが、構成はヌーヴェルヴァーグらしく、どこかちぐはぐだ。 両監督の共通点は批評家出身の映画監督である事。違いは作風にも表れる映画への姿勢に、政治への関わり等。 トリュフォーは愛を描き、映画が常に自由な世界である事を守る。映画好きによる映画製作者のさきがけだ。 ゴダールは映画による映画自身への刷新。映像で思想を語る攻撃的姿勢。トリュフォーは愛がストレートに感じられるのだが、ゴダールは説明しても何が凄いのかよくわからない。一般的な映画の凄さというよりも、常に映画へテンプレを当てはめようとする流れに対して、その枠をはがし、映画を問い続ける姿勢が映画史的に大きな価値を持つ。 正直なところ両者を語る程の舌を持っていないのだが、私が彼らから感じたのは、こうした面である。 すなわち、映画への愛し方の姿勢の違いだ。 紐解くと、トリュフォーは特に出自が影響しているだと勘ぐる事が出来る。貧困層出身のゴロツキだった青春時代のトリュフォーにとって映画だけが救いだったという。彼にとって映画とは愛そのものなのである。だから、彼の映画は、愛に満ちた映画という思い出をつくる事が重視されている。一方で、フランス・スイス二重国籍でブルジョワ出身のゴダール。彼は、政治的積極性と作家主義による価値の刷新という、一見するとインテリ風のアナーキーでアヴァンギャルドな芸術志向という両面性を持つ。それは彼の出自による様々な価値観に触れる機会を持った事と無関係ではないだろう。様々な価値観と彼にとって映画を問い直す事が、社会と虚構を密接に繋げる映画への愛なのだ。 そしてレオーは、トリュフォーと同じような出自を持つ。彼に十代半ばにして才能を見出され、以後トリュフォーの分身として『大人は判ってくれない』以降、トリュフォー自身の半伝記――ないし誰にでも感じられる青春期の感性の再現――アントワーヌ・ドワネルシリーズを演じる。いわばトリュフォーは肉親的な感覚の人生の先輩としての「兄貴」だ。一方でゴダールの元では助監督として経験を積み、彼の映画を刷新し続ける姿勢と政治的姿勢に感銘し、数々のイデオロギー的映画に出演し、思想を固めていく。いわばゴダールは精神的な「兄貴」だ。 やがてトリュフォーとゴダールは、「ラングロワ事件」「五月革命」「カンヌ国際映画祭中止事件」を経て、トリュフォーはメジャーな商業映画への道、ゴダールは匿名製作による社会主義運動映画という地下へ潜る。両者は互いに批判しあい、政治と映画への姿勢から対立していく。間に挟まれて、両者を慕うレオーは苦悩していくとう訳だ。 ここまで書けば、三者の関係をドラマチックに描くのかと思えば、そんな描かれ方はしない。この映画は思ったよりも普通のドキュメンタリーなのだ。映画中に出演するキャラにインタビューする映像を流す等、面白い事をたくさんしていたヌーヴェルヴァーグを扱ったドキュメンタリーとは思えない程、凡庸なつくりだ。そう、普通すぎる。 両者監督とヒッチコック、ラングの供宴映像等、貴重な映像が盛りだくさんなので、それだけでも大きな価値のある映画だ。個人的に、もっと三者の関係をウェットに演出しても良かったと思う。もちろん、ゴダールは存命だし、貴重な資料映像を無碍にするような過度な演出は、事実と大きく異なるため、批判の的となるに違いない。逆をいえば、実際にレオーは苦悩したが、宣伝でいうほど三者の関係にドラマチックな面は無いという事だ。 それでも、トリュフォーとゴダールを扱っているのだから、両者の特性を活かした、愛の喜劇と、コラージュ的な政治的姿勢を持ったドキュメンタリー映画にしても良かったんじゃないかと、私は悔やむのです。ふたりの子供レオー、ヌーヴェルヴァーグないし影響下にある、その後のインデペンデント系映画、演出等の孫達と同義なのだから。 ----------------------------------------------------------------------- 記:ヒロト |
2012年2月20日月曜日
映画 『アビエイター』 自由の空に縛られている
『アビエイター』/2004/監督:マーティン・スコセッシ/米/カラー/2012.2.20記 ----------------------------------------------------------------------- 資本主義の権化ハワード・ヒューズの破天荒な伝記。彼の大胆な行動とキャラクター、功績には驚くばかり。だがどこか空虚なのだ。栄光の時代で映画が幕が降りる肩すかし感からなのか。私はその”先”に何を期待したのだろう。 ※上記の劇中映像を、当時ヒューズはガチでやっているのだから恐ろしい ヒューズといえば、膨大な製作費を投じて映画を作り、作りたい飛行機があるから飛行機会社を作って成功するような資本主義の権化と呼ばれている男である。監督作『地獄の天使』では、リアルな空戦シーンが撮りたいが為に、本物の戦闘機を87機用意した。そこまではまだいい。自分で飛行機に乗って撮影すると言い出した。そこまでもいい。でも撮影に映える為に新飛行機を開発するとか、どうなのよ。因みに彼が経営する全米でTOPを争う事になる飛行機会社は、自身の監督作に自由に飛行機を出せるように、わざわざ作った会社。有難う御座いました。 その一方で彼は奇行で有名な男だった。極度の潔癖症により、一度手を洗い出せば、掌が血まみれになるまでこすり続ける。キャサリン・ヘプバーン等、様々な女性と交際歴がありながら、自分がフラれると癇癪を起し、元カノの衣服を燃やす尽くす。急に同じフレーズを何度も繰り返し、他人の声が聞こえなくなる。自分が決めた行動パターンに逸れると発狂する等。そこまで言及しなくても、飛行機の世界最高速度を塗り替える為に、自分で乗って、墜落して大けがする大会社の社長とか。大金も呼び込むが、こんな社長に振り回される社員は大変だ。遂にはライバル会社に社会的に追い詰められると、ディカプリオ演じるヒューズの、だいぶレアな瓶小便を全裸実演が拝める。ありがたや、ありがたや。 ※実際の飛行映像 後に破滅への一歩となる「H-4 ハーキュリーズ」も、宮崎駿映画に出てくるような大型輸送母艦で、戦車数十台を空輸するというトンデモ飛行機である。第二次世界大戦における欧州戦線。大西洋の補給ラインで猛威をふるった独逸第3帝國のUボート対策が建前だ。だが、戦時中は完成せず、戦後も何故か作り続けているので本音は違う。一見して、社長の我儘で作られたように見えるが、彼にとって、それは迫られた”作らねばならない使命”だったのだ。 本人はやりたい事をやる為に金を稼いでいるのだと嘯く。然し、劇中では幼少時に母から受けた「進歩者たる人間像」という強迫観念が彼の背景に常に付き纏う。映画ではハワード・ヒューズは資本主義の権化に成らざるを得なかったという描き方をしている。やりたい事をやってきたというよりも、”やらなければならない”と自らに課してきたという訳だ。それでも、直接的では無いにしろ、後の大型旅客機の概念に繋がるのだからたいしたものだ。 2004年当時の時流に沿えば、資本主義突き進むアメリカ合衆国という国自身をハワード・ヒューズという人物に重ねて描写しているとも言えるだろう。現に劇中ではスキャンダルネタに事欠かない落ちぶれた晩年を、あえて直接描写せずに、強迫観念に追われ突き進むヒューズの破滅的な予感を漂わせながら終わる。浪漫に満ちた巨大な虚ろなる翼「H-4ハーキュリーズ」が宙に舞う姿を描きつつ、その翼が二度と空を舞う事はない事実は描かずに。時は経て2012年。 彼は再び宙を舞えるだろうか。 ----------------------------------------------------------------------- 記:ヒロト |
2012年2月18日土曜日
映画 『天使にラブソングを2』 物語よりも音楽よりも
『天使にラブソングを2』/1993/監督:ビル・デューク/米/カラー/2012.2.16記 ----------------------------------------------------------------------- 私はあまり同じ映画を何度も観ることはない。間隔が空けばまた別かも知れないが、基本的には一度で充分だと思っている。しかし、好きな音楽は何度も何度も部屋で流している。BGMとして今もお気に入りの曲を流している最中だ。 この映画を何度も観てしまうのは、そういう意味である。 ストーリーはよくある青春群像劇と言えるのかも知れない。勿論、面白いことは面白いのだが個人的には前作である『天使にラブソングを』の方がより面白いのでストーリーは二の次。 この映画に私が求めるのは『音楽』である。 ウーピー・ゴールドバーグのパワフルな歌声は、演じるシスター・クラレンスの破天荒な行動力にも通ずるところがある。だからこそ、彼女の歌声は活力を与えてくれる。それは物語の中でも、外でも変わらない。 様々な事情を抱える問題児たち。その複雑な問題を歌うことで解決へと導こうとするシスターたち。彼女たちも魅力的なキャラクターでコミカルなムードを演出している。特にシスター・ロバートは前作での「気弱でおとなしい引っ込み思案」というどストライクな性格を少しばかり下方修正してはいるが、明るく積極的なウェンディ・マッケナも実に可愛らしい。 他にも、歌に対して真っ直ぐ向き合えない不器用な生徒役に若きローリン・ヒルが当てられている点に注目したい。彼女のソロパートは耳心地の良いもので、ゆったりとした安らぎを感じつつ、しかし身体の芯から新たなエネルギーがふつふつと湧き上がってくるような、不思議な感覚を味わうことが出来る。 シスターたちも歌うシーンは数多くあり、『Ball of Confusion』ではとても聖職者とは思えない歌詞を熱唱したり、『Pay Attention』ではカンパを募ったりとなかなかにハジけた曲目が楽しませてくれる。『Ball of Confusion』ではシスター・ロバートはとてもアテレコとは思えないノリノリな演技で歌うシーンがとても可愛らしい。 そんなシスター・ロバートことウェンディ・マッケナは本人の歌唱力も高いのだが監督のイメージにそぐわなかったため、劇中では全て別人が歌っている。唯一彼女自身の歌声を堪能できるのはエンディングで流れる『Ain't No Mountain High Enough』である。是非一度、聴いていただきたい。 色々と脱線してしまったが最後にこの映画の魅力をもう一度明記しておく。 音楽云々より何よりも、シスター・ロバートはとても可愛らしい。この映画は、彼女を楽しむための映画である。 ----------------------------------------------------------------------- 記:うづき |
2012年2月15日水曜日
映画 『呪いの館 血を吸う眼』 和製吸血鬼幻想
『呪いの館 血を吸う眼』/1971/監督:山本迪夫/日/カラー/2012.2.14記 ----------------------------------------------------------------------- 岸田森は吸血鬼である。 岸田森と言えば、牧史郎だったり嵐山長官だったり水島三郎だったり坂田健だったり南原捜査官だったり……ともあれ、特撮をそれなりに見ていれば必ずと言っていいくらいお目に掛かる名優の一人だ。主演だろうと助演だろうと彼は常に画面内で独特の存在感を放っている。 孤独で、寂しげで、子供向け特撮で明るい演技をしていてもどこか影のある岸田はまるで異邦人のような役者だった。 そんな彼の東宝映画における代表作に、和製吸血鬼映画『呪いの館 血を吸う眼』と『血を吸う薔薇』がある。 ハッキリ言ってしまえば日本という国は吸血鬼には似つかわしくない。日本の伝奇や怪談というのはじっとりジメジメとした人間の情を前面に押し出したものが多く、それがやはりお国柄なのだろう。対して吸血鬼というのは、鮮血は滴れどあくまでドライでクールな題材だ。実際、血を吸うシリーズの一作目に当たる『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』はあくまで和風なホラー映画だった。 それを二作目で吸血鬼映画たらしめたのは、岸田森が演じたからだ。 画面の中の彼はまさしく吸血鬼だった。要所要所で他の役者達と同様顔を青白く目の下にわざとらしいくまを入れてドラキュラメイクをするのだが、正直そんなものは必要無かった。彼の吸血鬼度を著しく損なってさえいた。彼はただ立っているだけでナチュラルボーン吸血鬼なのだ。 柏木秋子は悪夢に悩まされていた。幼い頃に愛犬と共に迷い込んだ洋館で目撃した女性の死体、薄気味の悪い老人、そして口元を血で汚した青年の金色に光る妖しい眼……。 ある日、秋子の隣家に大きな棺が運び込まれる。以来、愛犬は殺され、親切だった老爺や最愛の妹である夏子は豹変し、遂には夢で見た幽鬼のような青年が現実に現れた。 恋人である医師・佐伯の協力で失われた記憶を探る秋子。 幼い彼女が洋館で出会ったのは果たして何者だったのか……。 赤茶けた空、湖の畔、枯れ枯れのススキ野原、寒々しい森、そして洋館。 ゴジラ対ヘドラなどでお馴染みの眞鍋理一郎によるおどろおどろしい音楽。 そこに、岸田がいる。 幼い少女を自らの花嫁と見定め、十数年の月日を経てもつけ狙う悪辣な吸血鬼。 酷いロリコン野郎なはずなのに不思議とそうは見えない。 それは、彼が人間の条理から外れた吸血鬼だからだ。 佐伯は吸血鬼をキチガイ呼ばわりする。自分を吸血鬼だと思い込んでいるだけの狂信者だ、この世に悪魔なんていない、と罵る。その言葉を嘲笑うかのように、岸田森が暴れるのだ。獣の如き唸り声をあげながら、それでもどこかクールに、ダンディに立ち回る。 森の中に、洋館の階段上に、棺の傍らに。ひっそりと物静かに佇む爬虫類的で植物的な面差し。 岸田森は、やはり吸血鬼なのだ。 ----------------------------------------------------------------------- 記:みじゅ |
2012年2月14日火曜日
映画 『シャッターアイランド』 怪物の世界なら死んだ方がマシだ/
映画 『シモーヌ』 価値とは他人から見ればカルト/ 二本立
▼『シャッターアイランド』 ▼『シモーヌ』 ※ネタバレ有 『シャッターアイランド』/2010/監督:マーティン・スコセッシ/米/カラー/2012.2.13記 ----------------------------------------------------------------------- 数日間ディカプリオ作品を立て続けに見ていたので「そういえば観てなかったな」と思い出しレンタルしてみた。以前に微妙だとアドバイスされていたのだが忘れていた。後悔した。 過度に謎解きを宣伝する映画は、逆をいえばネタバレされてしまえば魅力が薄くなる作品が多い。 その代表例が『シックスセンス』だろう。 この手のものは宣伝方法にも問題がある。「絶対に結末を人に教えないでください」というキャンペーンが、この手の映画には必ずつきものなのだが、これをされれば観る側は「よぉし、絶対に推理してみるぞ。一体どんな謎があるんだい」と、完全に探偵モードになってしまう。つまりハードルが数段上がる。慣れている人になると、自分の中で映画に隠された謎のレベルをどんどん上げてしまい、途中で真実に辿り着いても「いいや、もっと謎は深い筈だ」と自己完結する。結局のところ、途中で気づいた答えが真実なのだが、終わってみれば残るのはガッカリ感と物足りなさだ。 「なんでぇ、こんなものか」 勿論ネタバレはしないが、あえて仄めかすなら、戦争という人間の本性を垣間見てしまった人間にとって、人工的につくられた箱庭で、偽りの皮を被った正体不明の化け物どもがのさばる平和な世界ほど、 恐ろしいシャッターアイランド(閉ざされた世界)なのである。 ----------------------------------------------------------------------- 記:ヒロト 『シモーヌ』/2002/監督:アンドリュー・ニコル/米/カラー/2012.2.13記 ----------------------------------------------------------------------- 2012年2月に『ガタカ』のニコル監督最新作である『タイム』が公開されるので関連作でも観るかとレンタル。 俳優に振り回されるのが嫌になった、売れない芸術家肌監督アル・パチーノは、自分の数少ないファンだった故人から譲り受けた女優シミュレーションシステム「SIM-ONE」をシモーヌとして女優デビューさせ、俳優至上主義たる世間と映画製作所をからかおうとする。だが結果は別の意味で大成功。シモーヌは清純派女優として世界的大ブレイク。然しパチーノ監督以外の作品には露出しない事から、監督は叩かれ、シモーヌの評価はうなぎのぼり。結局、俳優に振り回される運命にあるパチーノが四苦八苦するブラックコメディ。 この手のバーチャルアイドル系は説得力の困難さを内包する。昔から作られた存在が偶像として求心力を集めるというものは多々あるが、視聴者側からすれば「ほんとかよ」という気持ちが起こるのは当然の流れ。そう思わせないだけの偶像をつくりあげるのは非常に難しい。逆にそうした偶像を崇める連中を奇異の目で眺めるタイプの作品もある。 『シモーヌ』は後者だ。 芸術家肌の監督が真実をぶちまけたい気持ちと、彼女のおかげで良い生活できていることのジレンマから苦しむ流れは、イメージの虚構で成り立つ映画界を実に皮肉っている。 はっきりいって映画を観ても、シモーヌに魅力は無いが、演出的にただしい起用の仕方である。作られた存在である彼女に全世界が熱狂してしまい、誰も気づかない。端から(視聴者目線で)見ればカルトにしか見えない。だが、演技力やら作家性、ひいては芸術なんて、理解できないものからすれば、その信奉者はカルトにしか見えない。 ----------------------------------------------------------------------- 記:ヒロト |
2012年2月12日日曜日
映画 『蠅男の恐怖』 怪人と家族の絆
『蝿男の恐怖』/1958年/監督:カート・ニューマン/米/カラー/2012.2.10記 ----------------------------------------------------------------------- 深夜の工場にて奇怪な殺人事件が起きる。 被害者は物理学者のアンドレ。彼はプレス機により顔と片腕を潰されていた。現場から逃走する姿を目撃されたのは何と彼の最愛の妻であった。アンドレの兄・フランソワの説得に応じ、彼女が語り始めた真相とは信じ難いものだった… 本作の成功で続編が2本作られ、後に『ザ・フライ』としてリメイクされた古典SFホラーの名作と名高い映画である。SFXを駆使した迫力あるリメイク版異なり、クラシック映画ならではのサスペンスタッチで描かれた物静かな画面作りに重きを置いている(残念ながら続編二作は良くも悪くもいかにも50年代的で凡庸な変身怪人物になってしまっている)。 また電送機の発明者にして蝿男たるアンドレはそれまでの変異物がどことなく漂わせてしまう事の多かった狂科学者的な描かれ方はされておらず、むしろよき家庭人として家族との暖かい交流を丁寧に描かれている。その事が怪物と化してしまった彼の悲しみと苦悩をなお一層強く伝えることに成功している。 妻を怯えさせんが為に布で顔を隠し、声を発することすら出来なくなり、黒板とノックの回数でしか感情表現をする術しかなく、日に日に精神を蝿に蝕まれる彼と、彼を救わんがために悲しみにくれながらも健気に元の姿に戻す鍵となるアンドレの体の一部を持つ蝿を探す妻。そして疲労から次第にヒステリックになってしまう彼女に、事実を知るわけでもないのに優しく接する幼い息子を見ていると本作はホラーと言うよりは悲しくも美しい家族愛の物語として描かれているのではないだろうかと思えてくる。 それ故に本作のアンマスクシーンは怪人の悲壮さを強烈に感じさせ、その直後に妻への想いを黒板に必死で綴る場面と合わせ変身物映画屈指の名シーンとなっている。映像的にも、カラーを意識したレトロ映画ならではの様々な美しいSF的光学表現や特殊合成も多用しており視覚において退屈させない作りになっている。 さて、この映画において私が大好きなシーンがある。映画ラストにて幼い息子に父が死んだ理由を問われたヴィンセント・プライス演じるアンドレの兄が語るセリフである。 「探検家のようにだれも知らないことを調べて、真理を見つけたと思った時にちょっとだけ油断してしまったんだ」 真相は決しては差ないものの、決して嘘ではない、優しさに満ちた言葉ではないだろうか。 ----------------------------------------------------------------------- 記:るん |
2012年2月9日木曜日
映画 『ピラニア 3D』 家族で和気藹々と観よう
『ピラニア3D』/2010/監督:アレクサンドル・アジャ/米/カラー/2012.2.8記 ----------------------------------------------------------------------- この映画にとってストーリーなんて本当にどうでもいい。 どこまでもエロとグロ、それだけでこの映画は成り立っている。 ストーリー性やその他の要素なんて上記の要素を一本の映画として成り立たせるための添加物にすぎないのです。偉い人にはそれがわからんのです!わからんのが正常なのです!だからあなたは偉いのです! とにかくピラニアが派手に大暴れしてなんもかんも食い尽くす!人体破壊の量も半端じゃなく、比喩抜きで血の海状態。そしてピラニアが暴れない作品のテンションがダレる場面はとりあえず女を脱がして間を持たす!いやピラニアが暴れていても脱がす!高尚なことなんて何一つ考えていない!どこまでも徹底的にそれを追求している。 あまりにも単純明快すぎて逆に美学を感じるレベル。ここまで見ていて気持ちいい映画は久しぶりだな~とツンは感動しました。悪趣味は罪じゃないって誰かが言っていたけどホントだよな~ってしみじみと思わせてくれます。 でもこの映画、エンターテイメントとして意外としっかりした作りだと思うんですよ。サービス精神旺盛というかB級感をもっと徹底するなら正直もっとグダグダした映画でもアリなんじゃないかと思ってしまうぐらい。 しかし自分がこれを観たのは残念ながらDVD・・・これほど映画館で観なかったことを後悔した作品も久しぶりです・・・観たかったなぁ・・・3Dで無駄にやたら飛び出すピラニアとおっぱい・・・。 ちなみにツン的お気に入りのシーンはピラニアから逃げるために海にいる人間を轢き殺す事もおかまいなしで男がボートで逃げる場面。あの人の頭の中のDIO様が「関係ない、行け」って言ったんだろうなぁ・・・まぁガンガン轢き殺すわスクリューに巻き込まれるわで景気のいいシーンでしたよ。 こんな感じなんで真面目な人は観ちゃ駄目だと思います。そうじゃない方にオススメ。というかそれは今まで紹介自分が紹介してきた映画全てに当てはまるんだけどさ・・・。 僕はこの映画を“家族”で和気藹々と観てました。全員大ウケ。 ・・・アレ?じゃ、うちの家族って・・・。 ----------------------------------------------------------------------- 記:ツン |
2012年2月8日水曜日
映画 『くたばれ!ハリウッド』 超絶主観による真実
『くたばれ!ハリウッド』/2002/監督:ブレット・モーゲン&ナネット・バースタイン/米/カラー/2012.7記 ----------------------------------------------------------------------- 「どんな話にも3つの側面がある。相手の言い分、自分の言い分、そして真実。誰も嘘などついていない。共通の記憶は微妙に異なる」冒頭で主人公ロバート・エヴァンズが語る言葉。ドキュメンタリ映画に括られているが、貴方が思い描くジャンル像を打ち砕いてくれる映像的刺激に満ちた、実にアニメ・漫画的なドキュメンタリ映画である。 さて、この映画はハリウッドの名プロデューサー、ロバート・エヴァンズ氏の一代記だ。全編ナレーターがエヴァンズ本人の独り語りという素敵使用。彼は「ローズマリーの赤ちゃん」で ドキュメンタリをあまり見ない人にとって、このジャンルは記録映像とインタビュー映像の組み合わせというのが一般的なイメージだろう。そうした硬いイメージで捉えられがちなのが残念だ。実際は、登場人物の心理描写や作劇のルールという、劇映画だからこそ存在するルールが無いので、やりたい放題できるのがこのジャンルの魅力。 「真実を映すのがドキュメンタリ」というルールがあるじゃないかと言われそうだが、それは罠だ。記録された映像は、一見して真実を切り取ったかのように見えるが、撮影者が何を選んでとったかという選択行為が行われている。また、撮影した後でも、どれを公開する映像につかうかという編集行為が介在する。これは映画以前の写真文化から議論されてきたことで、デジタル技術の発展により、それはより顕著になった。 この映画ではエヴァンズ本人が顔出しNGと言ったので、仕方なく(?)昔の雑誌の切り抜きやら、姉ちゃん達との写真等、ありったけの資料を組み合わせて全然関係ないシーンに組み合わせて一本でっちあげている。スライドショーなんて生易しいものじゃなく、人物と背景をコラージュする事で、動かない写真が動いているように見せているのが実に刺激的。実際の映像をつかわない事で、時間の冗長さから解放されたドキュメンタリは、エヴァンズの濃密な人生をハリウッド史と組み合わせ、90分という実にコンパクトなサイズでエキサイティングに仕上がっている。 漫画・アニメ的と言ったのは、手法が実に似通っているからだ。漫画やアニメは時間的制約に囚われない。コマやカットの間で時間を操作し、登場人物達の動きを自由にさせる事で、映像的圧縮が可能になり、長大なストーリーや膨大や登場人物がいてもスッキリまとめあげる事が可能だ。アニメや漫画であれば、「撮影されていない場所」なんか存在しない。ありとあらゆる場所にカメラを持ち込み、編纂する事が可能だ。それを実写でやってみせたである。 意図的にエヴァンズの主観のみで作り上げられた、エヴァンズとその周りの人々の人生。実にあくどい映画だ。純愛のように語られるエヴァンズの結婚はその前後に数回、結婚と離婚を繰り返しているし、コッポラを拾い上げたのはエヴァンズのように語られるが起用を反対していたのはエヴァンズ本人だという話もある。だが、そんな事はどうでもいい。 これはエヴァンズの映画である。 つまり、エヴァンズというカメラが映してきた彼の人生なのである。観客がエヴァンズ本人に成れるのだ。エヴァンズはエヴァンズにしか成れない。彼が今、そう思い出しているのだから、今の彼にとってはそれが、彼の人生なのだ。まさに今、切り取られたエヴァンズの主観。ドキュメンタリ映画である。 映画というものが、ドキュメンタリというものが、如何に虚実入り乱れたインチキな代物であり、エキサイティングで面白くなれるという事を、我々に刺激させる“作品”だ。 ※ところで原題を直訳すれば「奴は今も(映画に)居るぜ」といった感じになるのだが、意味不明の邦題も、エンターテイメントの為の編集文化で成り立つハリウッドそのものと、当作品を重ね合わせる事により皮肉でつけたタイトルとも解釈できる。 ----------------------------------------------------------------------- 記:ヒロト |
2012年2月5日日曜日
映画 『狩人と犬、最後の旅』 許されぬ自然に帰す個人/
映画 『ボルベール<帰郷>』 法に優先されるは家族/ 二本立
▼『狩人と犬、最後の旅』 ▼『ボルベール<帰郷>』 ※ネタバレ有 『狩人と犬、最後の旅』/2004/監督:ニコラス・ヴァニエ/仏・加・独・瑞西・伊/カラー/2012.2.5記 ----------------------------------------------------------------------- 2012年1月よりはじまったテレビ東京深夜枠「サタシネ」で視聴。タイトルから「犬映画か。私犬映画嫌いなのよね。お涙頂戴で」とスルーしかけた。つまり動物モノには弱い。一応、雪山が舞台ということで景色映像目的から観ることに。 実在の狩人ノーマンさんに惚れた監督が彼自身を撮った半ドキュメンタリー。迫る近代化の波で狩場の動物が減り、生活が困窮するなか、半世紀続けた狩人にノーマンは限界を感じ始める。だがダメ犬がリーダーシップとして成長していく姿に、ノーマンさんは彼のためにも暫く狩人を続けようと心を決める。 狩人とはいえ、道具の維持や犬達の管理には費用がかかる。病気や身体が思うように動かなくなることもある。結局のところ、一度構築された文明社会において、完全なる自然のなかでの暮らしに戻ることは、周囲の世界が許さない。 主に過酷な雪山での狩猟生活を淡々と描く。思ったよりも犬映画で露骨な感動を誘うような代物ではない。というかストーリー要素は半ドキュメンタリーという事もあり、かなり薄い。とにかく「都会に疲れて動物たちと大自然で暮らしたいわ」という浅はかな幻想を見事に破壊してくれる辛辣な雪山の映像美。 ----------------------------------------------------------------------- 記:ヒロト 『ボルベール<帰郷>』/2006/監督:ペドロ・アルモドバル/西/カラー/2012.2.5記 ----------------------------------------------------------------------- 不法行為が“日常”の一部のスペインの下町。何があろうと(殺人でも)家族の為に必死に生きる、明るい女達の物語。父親にレイプされかけた娘を庇う母親役のペネロペ。死体を隠す無人のレストランを不法占拠し経営しはじめる彼女に、父親と共に死んだはずの母親が目撃されたという噂が耳に届く。 それらが交錯し……そうだが、ミステリー的には交錯しない。 ペネロペは母を嫌っていた。自分の父親にレイプされており、その事に気づかない母親が憎かったのだ。だが母親は気づいており、娘を守るために父親を殺した。つまり世代を超えてペネロペは憎んでいた実母と同じことをしていたのだ。 だがミステリーはそこまで。 彼女達は家族として再生していく。失われた祖母・ペネロペ・娘の関係が築かれていくというわけだ。焼死したペネロペ父や、刺殺された夫は墓参りされて弔われるが、事件が法的操作へ……という展開は無い。 不法滞在外国人娼婦や、違法売買などが“日常”の一部であり生活である街が舞台。法律だとか社会的正義とかは何処吹く風。彼女たちが何よりも優先するのは家族の生活なのである。神の視座から降り、彼女達の視線に立てば当然の選択だ。 だが、最後まで“日常”感を奪い、違和感を残してしまうのが、地味な娘とも死んだはずの母親とも似ていない、ノーメイク貧乏設定のド派手メイクのペネロペの美しさとナイスバディ。 ----------------------------------------------------------------------- 記:ヒロト |
2012年2月2日木曜日
映画 『ホテル・ルワンダ』 問題提起とはかくあるべき
『ホテル・ルワンダ』/2004/監督:テリー・ジョージ/英・伊・南阿/カラー/2012.2.2記 ----------------------------------------------------------------------- 二人以上の人間が集まればその間には諍いが生まれる。争いの火種は何だろうか。些細な考え方の違いかも知れないし、互いに譲れぬ主張がぶつかったのかも知れない。もしかすると、ただ虫の居所が悪かっただけかも知れない。 多様な火種は風で吹き消されるものもあるし、突然天高くまで火柱が起こるものもある。けれど最も性質が悪いのは、長く燻り続ける火種だろう。何かをきっかけにし、瞬く間に周囲に燃え広がるのだから。 その国の火種はまさにそれであった。 1994年、中部アフリカに位置するルワンダ共和国で起きた大虐殺。たった100日足らずでルワンダ国民の二割近くがこの世を去った惨たらしい出来事は、人種差別という火種によって生まれたものだった。 痛ましいこの大虐殺には、ホロコーストにおけるシンドラーのように難民に手を差し伸べた者がいた。その男、ポール・ルセサバギナの実際の行いを基に作られたのがこの映画であるが、単なるドキュメンタリーに留まらず、人種差別問題やそれに対する社会のあり方などを観る者に「丁寧に」訴えかける演出がなされている。 初めは自分と家族さえ無事なら他を見殺しにしても構わないと思っていたポールは、良心と葛藤しながらも家族を優先し行動する。しかし少しずつ侵食してくる非情な現実に目を背けられず、やがて難民を自分の働くホテルへと導く。 彼と彼を取り巻く人々の目を通して伝えられる「蚊帳の外」の無機質な責任感。そしてルワンダ国民の心深くに根付いた民族間の差別意識。自らの生まれを憎みながら死んでいく者や、鈍色の狂気をかざす相手に最後まで説得を試みる者などの犠牲者の声。 それら「見えないもの」を映像化することこそ『映画』であるのだろう。 私は最後の旅立ちのシーンまで片時も目を逸らせなかった。私もその様子をリアルタイムで見ているような気がしたからだ。ただし、「蚊帳の外」の中から……。 ----------------------------------------------------------------------- 記:うづき |
2012年2月1日水曜日
映画 『世界侵略:ロサンゼルス決戦』 へいお待ち、侵略宇宙人定食バトル大盛り!
『世界侵略:ロサンゼルス決戦』/2011/監督:ジョナサン・リーベスマン/米/カラー/2012.1.29記 ----------------------------------------------------------------------- よく「宇宙人が強くない」「ドラマが無く脚本が弱い」などのツッコミ意見を目にする本作ですが…… そんな野暮は言いっこ無し、と申し上げたい! 例えばアイドル映画は、何よりそのアイドルを光らせる映像を撮る事が目的ですよね。それと同じベクトル、「俺たちの米軍の活躍を撮りたい!」という思いで絵を作っていったらこうなったというか。侵略宇宙人のスパイスは『テキサス・チェーンソービギニング』はじめ、作品に趣味が滲み出てるジョナサン・リーベスマン監督の仕業でしょうかね。 細菌、コンピューターウイルス、音等々、侵略宇宙人ものといえば、人類が逆転の鍵になる“宇宙人の弱点”を見つけて大反撃するのが定石です。しかし本作は、効果的にダメージを与える為の弱点探しはするものの、基本的には真っ向から宇宙人と戦ってついには打ち勝つという、なんだか爽やかさすら感じる堂々正面突破の手を打ちます。This is 米軍、退却NO! 「ウチはそんな小難しい料理はできねぇけんど、まぁまぁ食いねェ」と、ミリタリーなドンパチを大盤振る舞いしてくれるスタッフのこの心意気! ならばそれを受け止めて、ごちゃごちゃ言わずにひたすら描かれる真っ向勝負の戦闘シーンを味わおうじゃありませんか!ロサンゼルスでブラックホーク・ダウンしたい! それでええじゃないかええじゃないか! その戦闘シーンに特化した割り切った構成、各シーンのシチュエーションは、北米を中心に人気のミリタリーFPSゲームにも影響を受けているように感じました。数々の戦争映画はFPSゲームに影響を与え続けてきましたが、ここである種の逆転現象が起こっているのが面白いですね。 ちなみに本作が好きな方にはコールオブデューティーのモダン・ウォーフェアシリーズがオススメ。 類似の戦闘シチュエーションも多くありますし、音楽はハンス・ジマーはじめ錚々たるメンバーが担当しています。(3は本作と同じく、ブライアン・タイラーが音楽を担当!) おまけ:最強姐御、ミシェル・ロドリゲスも大活躍で満足ですね! おお、「生き残ったのは美人だからじゃない」の言葉通りに、「サノバビ○チ!」と罵りながら、エイリアンを蹴たぐるその雄姿よ……! ----------------------------------------------------------------------- 記:マツ |
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