『鉄路の闘い』 /1945/監督:ルネ・クレマン/仏/モノクロ/2012.6.10記 ----------------------------------------------------------------------- 第二次世界大戦末期のフランス、連合軍のノルマンディ上陸作戦に対処するため、ドイツ軍は戦線に物資や兵器を贈ろうと図るも、レジスタンス達は様々な破壊工作でこれを阻止せんとする。実際に起きた鉄道員たちの戦いを元に製作された映画である。ドイツ占領下のフランスにおける鉄道員レジスタンスの活動を描いた作品。 監督は後に『禁じられた遊び』等で知られるルネ・クレマンである。国策映画なのであるが、戦後間もなくの戦勝ムードもあってかプロパガンダ的な思想描写はあまり感じさせず、非常に痛快な活劇的仕上がりとなっている。また登場人物を演じるは俳優ではなく、実際にレジスタンスとして戦中に活動していた者たちであり、役者ではないとはいえ本物ならではの一癖も二癖もある凄みをどことなく漂わせている。 レジスタンス達が行う破壊工作は恐らく、実際に行われていたものだと思うのだが、年数が生み出したアナログ感がたまらない。かなり工程も細やかに再現されているために、スチームパンクやスパイ物を見ているようで非常に面白いのだ。メカニックシーンも多く鉄道車両を中心に実に多数の重機器を登場させており、そのすべてがパワフル映しだされおり、あまりにガンガン起動させるので発せられる蒸気と飛び散る機械油で画面がとにかく埃っぽくなってしまっているのも魅力的だ。 対する独軍も多数用意され、実に細やかに描かれており、特に装甲列車の存在が圧巻である。重々しく砲塔を動かし、レジスタンスに狙いを定める描写のなんと迫力のあることよ(恐らく実物?)。また警戒車両としてつまれているルノーR35はきっちり列車から降ろされて、自走する姿も拝める始末。脱線シーンは本物のドイツ軍車両を列車に積んで実際に派手に脱線させる大盤振る舞いである。というかもったいないw この作品はルネ・クレマンの長編処女作となり彼の名を一躍有名にするものとなった。戦後すぐの作品ということで、元々は実物軍用車両が多数出演していることで興味を示し、恐らく説教臭い内容なんじゃないかなあと思って見たのであるがいい意味で裏切られた作品。 題材的には堅苦しそうな雰囲気の漂う映画であるが、その実非常に骨太で力強い戦争映画である。 ----------------------------------------------------------------------- 記:るん |
2012年7月8日日曜日
映画 『鉄路の闘い』 もう一つのノルマンディ
2012年5月30日水曜日
映画 『オペラ座の怪人(1925)』 稀代の怪優
『オペラ座の怪人』 /1925年/監督:ルバート・ジュリン/米/モノクロ/2012 ----------------------------------------------------------------------- 言わずと知れたガストン・ルルーの小説を映像化したもの。1916年にドイツで製作されたものに続き映画化は2度目となり、一般によく知られている視聴可能なオペラ座の最初期となる作品である。 本作におけるオペラ座の怪人ことエリックは後の作品に見られるような悲しき背景を持った異形の天才と言った描かれ方はまだされておらず、生来の外見の醜さと歪んだ精神をもったサイコパスとして原作に忠実なキャラとなっている。演じるは『千の顔を持つ男』ことロン・チェイニー。彼の扮するそれはまさに狂気の天才である。仮面舞踏会において死神のような紛争で客人たちを前に演説する姿は怪人の美学と自信に満ち溢れているのだ。 本作のエリックはやはり他の映画とは一線を画した魅力を持っている。顔をパテや針金を使用して変形させてまで創りだした骸骨のような顔とサイレント独特の大時代的な演技で見事に狂人を表現しきっていると感じてしまう(因みにこのメイク時、チェイニーは鼻に金属を通して整形するためものすごい量の鼻血を流していたとの証言もある)。悲哀性を感じられない分、悪としての魅力が思う存分楽しめるのだ。 そして現在も保存されているというオペラ座のセットは何か巨大な装置を眺めているようでワクワクさせてくれる。オペラ座華やかな舞台から乱雑な楽屋、そして断面図のように映し出される汚水に満ちた広大な地下水道と本当に一体いくつの舞台がこの劇場に存在するのかわからない。 これが怪人の潜む居城なのだから、ゴシックホラー好きにはたまらないものがあるのだ。 前述したとおりエリックは不慮の事故で精神が歪んだわけでない。そのためか劇場に身を隠していると言うよりはこの暗闇を愛しているからこそ地下水道に居を構えてるような印象を受ける。 それがまた彼を闇の住人としての魅力を否が応でも輝かせてくれるのである。 しかし、当時の映画製作者はある意味【歌】が主人公でもあるこの作品をサイレント時代に製作しようと考えたものである。冒険的な製作ながら本作は大ヒットを記録し、ホラー路線に懐疑的だった経営陣を振り向かせることに成功した結果、この後ユニヴァーサルは数々のゴシックホラーの古典的名作群とキャラクター達を生み出していくことになる。 ----------------------------------------------------------------------- 記:るん |
2012年4月24日火曜日
映画 『黒い蠍』 巨匠の意地
『黒い蠍』/1957/監督:エドワード・ルドウィング/特撮:ウィリス・オブライエン/米/モノクロ/2012.4.7記 ----------------------------------------------------------------------- メキシコの僻地に新火山が現れてからというもの、近隣の村が何者かによって壊滅されたり、原因不明の惨殺死体が発見されるようになる。調査に訪れた主人公の地質学者はそこで信じられないものと遭遇する。 『ロストワールド』『キングコング』などで知られるストップモーションの先駆者、「ウィリス・オブライエン」が特撮部分を最晩年に手がけた作品。物語的に言えば当時のアメリカで大量に生産されたモンスターパニックと大差ないというか、『放射能X』の丸パクリみたいな内容である。しかしそこは「オブライエン」の手にかかった作品である。モンスターの迫力と存在感は、そんじょそこらのB級怪獣とは段違いである。本作主人公怪獣・巨大サソリは実に見事に節足動物然とした動きを披露しており、まあとにかくカシャカシャせわしなく動きまわってくれる。 はっきり言ってキモい。 大群なして列車はひっくり返すわ人を挟んで食い殺すわ挙句仲間割れ初めて殺して食うわ、アップで映る顔はヨダレだらだら垂らしてるわで性格が虫過ぎて愛嬌のかけらもない。 またサソリの出身地・地底世界の怪物たちも実に魅力的で、不気味に這いずりまわる尺取虫状の生き物とそれを襲うサソリとの戦いや、トタテグモの巣穴みたいなところから出てくるダニみたいな怪物等、ハリーハウゼンのセンスとはまた違ったデザインのクリーチャーが画面狭しと動きまわって実に気色悪くて素敵である。 ラストは生き残った一番でかい奴がメキシコシティに乱入してひと暴れしてくれるのだが、通常兵器にとことん弱い米国の怪獣の中では実にタフネスで対戦車砲や戦車の一斉砲撃にもびくともせず、多数のヘリや戦車を撃破する暴れっぷりである(まあ戦車はこの時代でもさすがに古いんじゃないかってM3軽戦車なんだけど)。暴れに暴れて止めを刺されるわけだが、断末魔の動きも驚くほど節足動物のウネウネとした動きを再現してくれて感動ひとしおである。 キモいけど。 オブライエンが最晩年に手がけた本作と、『海獣ビヒモス』は、まさにクリーチャーが狂ったようにのた打ち回りながら大暴れするのが印象的である。既に弟子であるハリーハウゼンが活躍する中、オブライエンは過去の人間になってしまっていた。 話題になることもなく密かに撮影されていた両作は名作とは言い難くも、巨匠が最後までその手腕を振るっていてくれたことを感じさせてくれる力強さに満ち溢れた魅力的な作品なのである。 ----------------------------------------------------------------------- 記:るん |
2012年4月20日金曜日
映画 『摩人ドラキュラ(スペイン語版)』 技術確立以前が生んだ怪作
『摩人ドラキュラ』/1931/監督:ジョージ・メルフォード/米/モノクロ/2012.4.5記 ----------------------------------------------------------------------- 英国の弁理士・レンフィールドはトランシルヴァニアに住む貴族・ドラキュラ伯爵の頼みを聞き彼の古城を訪れる。彼は知る由もないが伯爵は吸血鬼だった……。レンフィールドを自らの下僕にした彼は20世紀のロンドンにやってくる……。 『魔人ドラキュラ』が撮影された1930年代はサイレントからトーキーに移行したばかりで、まだアフレコ技術などは確立しておらず、スペイン語圏への進出も視野に入れていたユニヴァーサルはスタッフ及びラテン系のキャストに総入れ替えで本作の撮影を英語版撮影班の去った深夜に同じ脚本・セットを使用し行った。本作は当時の撮影水準からしてもどことなく平坦な画面の続く英語版と比べ、非常に映画らしい動きのあるカメラワークと演出の多さで高い評価を受けている。実際役者の演技も動きが大きく非常に生き生きとしたものとなっているし、主演女優も表情豊かで英語版よりはるかに色っぽいドレスを着込んで画面に花を添えている。 先に記した撮影テクニックも功を期して、英語版より30分程上映時間が長いにも関わらずテンポははるかに良いものとなっている。良くも悪くも本作は華々しいホラーなのだ。 妖気漂う英語版と同じ脚本を使用しているにもかかわらず、こちらは重苦しい雰囲気を微妙に感じることができない。単調ではあるものの英語版は淡々としたゴシックホラー本来の物静かな不気味さがあるのだ。 それでも暗闇からレンフィールドを狙うドラキュラの従者達や眼力を発するドラキュラのアップ描写など異形のものを魅力的に描く演出に、怪奇映画好きとしては陶酔感に浸ってしまう出来なのだ。 さて肝心のドラキュラ伯爵なのだが、アクションが大胆すぎてどのレビューを見ても当然評価は低い。本作の演出でベラ・ルゴシ扮するドラキュラが見たかったという意見も多い。 しかし私はこの作品のドラキュラはこの役者(カルロス・ヴィリャリアス)で良かったのではないかと思う。第一こんなアップテンポな画面にルゴシを置いてしまってはあの気品溢れる不気味さが伝わらず、魅力が半減してしまうかもしれないじゃないか。 画面からはカルロス本人が物凄く楽しそうに演技しているのが感じられてくるしこちらのドラキュラにだって充分ルゴシとは違う魅力を感じることが出来る。ルゴシのドラキュラが死神博士ならカルロスのそれは地獄大使。大胆不敵ながらどこか憎めないドラキュラを楽しんでみるのもまた一興なのかもしれない。 ----------------------------------------------------------------------- 記:るん |
2012年3月19日月曜日
映画 『戦略大作戦』 戦争活劇の魅力
『戦略大作戦』/1970/監督:ブライアン・G・ハットン/米/カラー/2012.3.19記 ----------------------------------------------------------------------- 第二次世界大戦末期のフランス。損な役回りばかり回ってくるジョー率いる小隊に、休暇中に転げ込んだ碌でなし少尉のケリーが持ってきた儲け話。不満が募っていた小隊は勝手に独軍が護る金庫のある街に進撃を開始する。 今じゃ考えられないことだが90年代に差し掛かるまでアメリカにおいてはWWⅡは英雄譚であり、ヒーローたる兵士が痛快な活躍を演じる場であった。本作はそんな中で製作された映画の一つだが、様々な戦争活劇の名作が生み出されつくした後の70年制作だけあって、このジャンルの集大成的完成度を持ちながらも、異色作としての側面も垣間見せてくれる非常に内容の濃い映画となっている。何と言っても登場人物が愛国心や生きる為といった思い名目でなく、物欲から行動を起こすあたりが、それまでの戦争映画と一線を画している。 キャラも誤って味方の陣地を攻撃して解任されたイーストウッド演じる少尉を始め、上官が死んだので前線に出ることもなくワインと女で日々を潰すちょっとキテるドナルド・サザーランドの戦車長等、相当癖が強く魅力的である。 製作陣が見せる兵器へのこだわりなども当時としては珍しいくらい表現されており、実に様々な兵器が登場するのも楽しい。米軍側のシャーマンはもちろんのことハーフトラックもきっちりバリエーションされたものを別に用意され、思う存分活躍してくれるし、兵士の自分の獲物に対する信頼のセリフも粋で格好いい、曰く『シャーマンは良い戦車だぜ?、頼りになる』や『せっかく磨いた砲を雨で濡らしたくないんでね』など思わずニヤリとしてしまう。 独軍車両も改造車両を駆使してかなり作りこまれた兵器がガンガン登場してくれる。特にティーガーはお馴染みT34改造車両でかなりSDなフォルムながら、細々したディテールのこだわりで相当な貫禄を醸しだしており、強敵として申し分ない迫力を持って大暴れしてくれる。また、独軍の人物も。それまでの戦争映画では史実の人物くらいしか人格を描かれることはなく、一般兵は戦闘マシーンのように描かれたのとはうって代わり、珍しく一部のキャラにはとても人間らしい愛のあるキャラ設定を作られている。 命令に忠実な頑固なドイツ兵ではああるものの、お酒に弱くて機密情報べらべら喋っちゃう大佐や、騎士道精神にあふれた雰囲気を持ちつつお金の話で主人公と和解しちゃうティーガーの戦車長など……。本当に、人間として好きになれちゃう描かれ方をされているのも、この映画の魅力なのではないかなと感じてしまう。 ----------------------------------------------------------------------- 記:るん |
2012年2月26日日曜日
映画 『アッシャー家の末裔』 音を感じさせるサイレント
『アッシャー家の末裔』/1928/監督:ジャン・エプスタン/仏/モノクロ/2012.2.25記 ----------------------------------------------------------------------- アッシャー家当主ロドリックに誘われた、彼の友人が訪れた不気味な洋館。友人がそこで目の当たりにしたのは、何者かに取り憑かれたようにして、妻の姿を描き続けるロドリックだった。不思議なことにロドリックの描く肖像画が美しく再現されていくごとに当の妻は生気を失っていくのだった……。エスプタンが実験的に撮影した映画と言われ、原作はエドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』をベースに『楕円形の肖像』と『リジーア』を加えアレンジされている。 サイレント末期の傑作と謳われる本作はそれまで撮られた数々の怪奇幻想映画の集大成のような多彩な手法に彩られ、ポーの幻想的な世界観を見事に表現している。 映画を詩に例えたエスプタンらしく、荒廃的でありながら美しく描かれる舞台や表現がとにかくゴシックホラー好きな私をグイグイと画面に惹きつけてくれるのだ。 不気味な生き物が映し出されながら描かれる漆黒の闇に包まれた階段、蝋燭が無数に立ち並び甲冑や柱時計に囲まれた鎖だらけの洋館……。これをまた影とアングルを多用した構成で映し出すため奥行きを異常に広く感じさせ、こちらの不安感を煽ってくれるのだ。後に撮られた『魔人ドラキュラ』のドラキュラ城を彷彿とさせる、この演出は当時としては非常に斬新なものであったのではないだろうか。 演出部分にも様々な工夫が見られる。どちらかと言えば舞台的な動きを重視するため、役者や映画のキーとなる具体的な事例以外には動きを必要としていない感のあるサイレントにあって、実に細やかな画面の動きに気を配られており、サイレントにもかかわらず一つ一つのシーンから音が聞こえてくるような画面作りにも目を見張るものがある。 その上、本作は映時間の短さに加え、上記で記した映像的な魅力も含め、サイレントに興味はあるもののなかなか手を出すには……という方にとって、実際に触れてみる良いきっかけとなる映画になるのではないかと思わせる映画だ。 サイレントからトーキーになる過渡期の映画として非常に美しい。また後のゴシックホラー独特の妖しい絵作りの萌芽を感じさせる良作である。ぜひともご堪能の程を。 ----------------------------------------------------------------------- 記:るん |
2012年2月12日日曜日
映画 『蠅男の恐怖』 怪人と家族の絆
『蝿男の恐怖』/1958年/監督:カート・ニューマン/米/カラー/2012.2.10記 ----------------------------------------------------------------------- 深夜の工場にて奇怪な殺人事件が起きる。 被害者は物理学者のアンドレ。彼はプレス機により顔と片腕を潰されていた。現場から逃走する姿を目撃されたのは何と彼の最愛の妻であった。アンドレの兄・フランソワの説得に応じ、彼女が語り始めた真相とは信じ難いものだった… 本作の成功で続編が2本作られ、後に『ザ・フライ』としてリメイクされた古典SFホラーの名作と名高い映画である。SFXを駆使した迫力あるリメイク版異なり、クラシック映画ならではのサスペンスタッチで描かれた物静かな画面作りに重きを置いている(残念ながら続編二作は良くも悪くもいかにも50年代的で凡庸な変身怪人物になってしまっている)。 また電送機の発明者にして蝿男たるアンドレはそれまでの変異物がどことなく漂わせてしまう事の多かった狂科学者的な描かれ方はされておらず、むしろよき家庭人として家族との暖かい交流を丁寧に描かれている。その事が怪物と化してしまった彼の悲しみと苦悩をなお一層強く伝えることに成功している。 妻を怯えさせんが為に布で顔を隠し、声を発することすら出来なくなり、黒板とノックの回数でしか感情表現をする術しかなく、日に日に精神を蝿に蝕まれる彼と、彼を救わんがために悲しみにくれながらも健気に元の姿に戻す鍵となるアンドレの体の一部を持つ蝿を探す妻。そして疲労から次第にヒステリックになってしまう彼女に、事実を知るわけでもないのに優しく接する幼い息子を見ていると本作はホラーと言うよりは悲しくも美しい家族愛の物語として描かれているのではないだろうかと思えてくる。 それ故に本作のアンマスクシーンは怪人の悲壮さを強烈に感じさせ、その直後に妻への想いを黒板に必死で綴る場面と合わせ変身物映画屈指の名シーンとなっている。映像的にも、カラーを意識したレトロ映画ならではの様々な美しいSF的光学表現や特殊合成も多用しており視覚において退屈させない作りになっている。 さて、この映画において私が大好きなシーンがある。映画ラストにて幼い息子に父が死んだ理由を問われたヴィンセント・プライス演じるアンドレの兄が語るセリフである。 「探検家のようにだれも知らないことを調べて、真理を見つけたと思った時にちょっとだけ油断してしまったんだ」 真相は決しては差ないものの、決して嘘ではない、優しさに満ちた言葉ではないだろうか。 ----------------------------------------------------------------------- 記:るん |
2012年1月28日土曜日
映画 『魔女』 映画が紡ぐ悪夢的絵画
『魔女』/1922/監督:ベンヤミン・クリステンセン/瑞/モノクロ/2012.1.27記 ----------------------------------------------------------------------- 最も初期に作られたホラーと呼ばれるが、内容はホラーと言うよりは魔女の歴史を図版や再現ドラマによって説明していくといったドキュメンタリータッチの強い作品である。 そういったわけでストーリーらしきものは魔女の生活や中世の魔女裁判、魔女文化の考察と言ったものがオムニバス的に入るくらいのものである。本作の魅力は画面に展開される奇怪極まりない美術にあり、再現ドラマにおいて登場 する悪魔達は、特殊メイクを施した役者の演技によるものの他、操り人形や人形アニメーションと思われるミニチュアによる表現なども駆使しており、それらの初期映画ならではのぎこちない動きがかえって禍々しくも幻想的な雰囲気を 醸しだしてくれている。 また役者が演じる悪魔のメイクも時代的な制約から、かなり粗い作りで更にそういう人選をわざと行ったのかと思わせるほど腹部がぽっこりと出たものばかりが扮しており、あたかも中世の絵画に描かれた悪魔達がそのまま這い出てきたかのような醜悪さで現代の映画とはまた違ったリアリティを生み出しているのである。セットや他の演者にもその妙なリアリティは現れていて、とにかくその表現が汚らしいのだ。 太り肥えた司祭を誘惑するお世辞にも美人とは言いがたい中年女、ボロボロの衣装を纏った老いた魔女、素手で口元をベタベタにしながらスープを貪る物乞いの老女…とにかく生理的な嫌悪を覚える表現に満ちている。 そうかと思えばシルエットを多用した幻想的で美しいシーンも随所に散りばめられており、映画全体の品格はむしろ高い映画と感じるほどである。 この醜悪かつファンタジックな映像をどこかで感じたことがあるなと思い調べたところ、クリステンセンは後の名匠、カール・ドライヤーに多大な影響を与えたと知り、納得がいった。 登場人物の生々しい醜悪さとそこに漂う幻想的な雰囲気はドライヤーの作品『裁かるゝジャンヌ』『ヴァンパイア』で感じたものと非常によく似ていたのである。 『魔女』の放つ観る者に悪夢へ迷い込んだような戸惑いを覚えさせる不可思議な魅力はしっかりと後の名作に引き継がれていたのである。 余談だがそれを前提に、『魔女』とドライヤーの両作品を見比べると明らかにリスペクトしたと思われるシーンが見受けられ、そういった発見も含めて作品を再度楽しむことができる。 *『魔女』原題:Haxanと同名曲「Haxan」のArcane Malevolenceによる映画引用PV ----------------------------------------------------------------------- 記:るん |
2012年1月14日土曜日
映画 『パンドラの箱』 検閲すら魅了した運命の女
『パンドラの箱』/1929/監督:ゲオルク・ヴィルヘルム・ハープスト/独/モノクロ/2012.1.14記 ----------------------------------------------------------------------- 運命の女・ルル。 彼女の無邪気で妖しげな魅力は無意識のうちに関わるものを彼女の虜にし、そしてその者を、また彼女自身をも破滅に追い込んでいく。 全てを失い、最後に身をおいたロンドンで街娼とまで成り果てた彼女が始めて客として引き入れ、どこか惹かれるものを感じた相手、それは当時最もロンドンを恐怖に陥れていたあの… 本作はサイレント映画最末期にヴァイマル体制下の不況にあえぐドイツで製作された。 ヒロイン演じるは監督をして「私のルルを見つけた」とまで言わしめたハリウッド女優ルイーズ・ブルックス。彼はこの映画のためにわざわざドイツに招待した。もし、彼女に出会わなければルル役はグレタ・ガルボが演じることとなっていたというからこれは驚きの大抜擢だったわけである。それ程に言われるだけあって彼女はまさに『狂乱の1920年代』を体現するかのように当時の映画的モラルからすれば確実に逸脱した奔放な性表現を大胆に演じており、検閲の厳しかったハリウッド映画が描ききれなかった当時の性も含めた大衆文化を画面から生々しく感じさせることに成功している。 また映画の舞台にもそれは言え、上流階級の祝祭や失業者で溢れかえる盛り場などで描かれる人々は、貧富の差はあるにしろ国内情勢への不満からか、一刻の宴に現実を忘れんとばかりにとにかく享楽的に楽しみ、タバコの煙で会場が霞む中酒に溺れ騒ぎ立てる姿が映し出されているのが印象的であった。当時のドイツ映画の多くに言えることではあるものの、特にヴァイマルからナチス台頭までの期間の生活感や価値観がこの映画では強く画面から伝わってくると感じるのは私だけではないはずだ。 この映画の大きな魅力の一つとして、ヒロインを演じたルイーズの多彩なコスプレの数々がある。監督の思いの入れが否応なしに伝わってくるほど様々な衣装を着こなしており、これまたブルックの美しさと当時のファッションを楽しむことができ、映画のアクセント作りに華を添えている。 ルイーズはこの混沌渦巻くドイツの街をいたく気に入り、撮影中何度も夜の街へ遊びに出ており、撮影終了後も活躍の場をここに置くことになる。 また、当時の検閲機関はこの作品以後、ブルックス出演作品への規制強化を取り決めたと言われている。 運命の女・ルルは演じた者の人生にすら大きな影響を与えることとなったのだ。 ----------------------------------------------------------------------- 記:御花畑るん |
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