2012年4月29日日曜日

映画 『映画けいおん!』 表情以外の感情





『映画けいおん!』/2011/監督:山田尚子/日/アニメ/2012.3.30記

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 初めての記事を、アニメ記事から始めようと思った理由は幾らかあるが、最も大きな理由は「近くのレンタルビデオ店(TSUTAYA錦糸町店)が遠く、映画を借りに行きにくい」。 そういう、地理的な理由である。


 ……都心には、レンタルビデオ店が少ないのだ。


 話を戻そう。映画のけいおん。けいおんという作品に関して、私はあまり良い印象を持っていなかった。京都アニメーションの作る、京都アニメーションらしい日常作品だよな、という印象だった。



※これを見た時もタイミングが上手いな、素晴らしい戦略だという感想だった。


 一期も二期も流し見していた作品の映画を見に行こうと思ったのは 私の良き理解者であり友人であり恩人であるアニメ関係者から誘われたからだ。ならばよし、と意気込んでけいおんの復習をしてから劇場へ向かった私を待っていたのは、けいおんという世界と京都アニメーションの徹底ぶりだ。


 これほどロンドンのロケハンを行ったアニメ映画はない。京都アニメーションといえば綿密なロケハンが得意であるが、予想以上であった。見ていてまず「ロンドンに行きたくなる」映画であった。構図やレイアウトも勢いがよく、なおかつ女の子を可愛く見せることに重点をおいている。 その上で、一般層も取り込むために、目の大きさを工夫している。作品の流れも時間の流れがはっきりしており、日常描写を得意とする作品でありながら成長が伝わってくる作品だった。


 だが、ストーリーだけが魅力ではない。


 これまでアニメ作品でありつつ、一般層も意識した作品であるというのは幾らかあった。有名どころでは、スタジオジブリの作品だろう。だが、けいおんはオタク向け作品→一般向けというアプローチをしている。無論、TBSの全面協力による広報展開などメディア戦略はあっただろう。しかし、それを形にするのは困難である。だが、山田監督はそれをやってのけた。映画けいおんはオタクだけでなく一般層も劇場に足を運ぶ作品となっていたのだ。



※女の子を可愛く描くという点に着目して欲しい。


 スタッフも女性が多く、女性が見ても可愛い服や仕草などが取り入れられている。「可愛い」という点に置いては素晴らしいアニメであった。そして、私がそれ以上に心を打たれたのは「表情以外の感情」である。アニメ映画において、キャラクターの感情を出力するのは表情だ。しかし、脚だけのカットや、背中のみのカットなど、表情が映らないカットが非常にあった。だが、仕草でどのような感情が出ているかが分かるのだ。顔以外で感情が、伝わるのだ。非常に、ここまでできるものかと思わせる作品だった。京都アニメーション。なかなか素晴らしい映画を作ってくれたと思う。アニメ映画と馬鹿にせず、可能であれば観に行って欲しい。


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記:ゆとり王


2012年4月25日水曜日

映画 『マスク・オブ・ゾロ』 ヒーローの裏付け





『マスク・オブ・ゾロ』/1998/監督:マーティン・キャンベル/米/カラー/2012.4.01記

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「強きをくじき弱きを助く」のはヒーローの大原則であるが、怪傑ゾロもまたそんなヒーローの一人である。


 虐げられた人々を救うため、得意の剣術と馬術で悪に立ち向かう姿はまさに英雄。しかし富と権力に溺れる者たちから一方的にお尋ね者として首に賞金をかけられたせいでおおっぴらに動くことが出来ない上、自らを心の支えとする人々のために常に紳士たらんとすることを求められてもいる。それがゾロである。





 この映画は数ある「ゾロもの」の中でも少し変わり者で、ゾロの継承をテーマの一つに挙げている作品となっている。


 かつて敵と戦い勝利を収めたものの、代償として妻の命と娘を奪われ自身も投獄されてしまい年老いた初代ゾロと、その剣術を受け継ぎながらも心の内に潜む兄の仇への復讐心や憤りと葛藤する若き二代目ゾロとの掛け合いがこの作品の重要な部分となる。


 初めは粗野で乱暴な面が浮き彫りになる二代目ゾロだが、やがてゾロとしての風格が備わっていく。そしていざ敵地に乗り込もうとする際、初代から渡されるのは「ゾロの覆面=マスク・オブ・ゾロ」である。作品のタイトルを暗示するというのはよくあるベタなシーンだが、効果的だからこそよくあるシーンとも言える。





 この作品では二代目がゾロに相応しい実力を身に付けるための修行の様子が描かれている。キャラクターの成長に関する説得力とも言えるこの場面をきちんと表現しているからこそ初代と二代目との間に師弟関係が芽生えていくのも我々に伝わる。


 地味で目立たないシーンだが、派手なシーンばかりでは観ているこちらも飽きが来てしまう。それに気付かない作品が最近では増えているような気がするのは私だけだろうか。



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記:うづき


2012年4月24日火曜日

映画 『黒い蠍』 巨匠の意地









『黒い蠍』/1957/監督:エドワード・ルドウィング/特撮:ウィリス・オブライエン/米/モノクロ/2012.4.7記



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メキシコの僻地に新火山が現れてからというもの、近隣の村が何者かによって壊滅されたり、原因不明の惨殺死体が発見されるようになる。調査に訪れた主人公の地質学者はそこで信じられないものと遭遇する。





『ロストワールド』『キングコング』などで知られるストップモーションの先駆者、「ウィリス・オブライエン」が特撮部分を最晩年に手がけた作品。物語的に言えば当時のアメリカで大量に生産されたモンスターパニックと大差ないというか、『放射能X』の丸パクリみたいな内容である。しかしそこは「オブライエン」の手にかかった作品である。モンスターの迫力と存在感は、そんじょそこらのB級怪獣とは段違いである。本作主人公怪獣・巨大サソリは実に見事に節足動物然とした動きを披露しており、まあとにかくカシャカシャせわしなく動きまわってくれる。


はっきり言ってキモい


大群なして列車はひっくり返すわ人を挟んで食い殺すわ挙句仲間割れ初めて殺して食うわ、アップで映る顔はヨダレだらだら垂らしてるわで性格が虫過ぎて愛嬌のかけらもない。


またサソリの出身地・地底世界の怪物たちも実に魅力的で、不気味に這いずりまわる尺取虫状の生き物とそれを襲うサソリとの戦いや、トタテグモの巣穴みたいなところから出てくるダニみたいな怪物等、ハリーハウゼンのセンスとはまた違ったデザインのクリーチャーが画面狭しと動きまわって実に気色悪くて素敵である。





ラストは生き残った一番でかい奴がメキシコシティに乱入してひと暴れしてくれるのだが、通常兵器にとことん弱い米国の怪獣の中では実にタフネスで対戦車砲や戦車の一斉砲撃にもびくともせず、多数のヘリや戦車を撃破する暴れっぷりである(まあ戦車はこの時代でもさすがに古いんじゃないかってM3軽戦車なんだけど)。暴れに暴れて止めを刺されるわけだが、断末魔の動きも驚くほど節足動物のウネウネとした動きを再現してくれて感動ひとしおである。


キモいけど


オブライエンが最晩年に手がけた本作と、『海獣ビヒモス』は、まさにクリーチャーが狂ったようにのた打ち回りながら大暴れするのが印象的である。既に弟子であるハリーハウゼンが活躍する中、オブライエンは過去の人間になってしまっていた。 話題になることもなく密かに撮影されていた両作は名作とは言い難くも、巨匠が最後までその手腕を振るっていてくれたことを感じさせてくれる力強さに満ち溢れた魅力的な作品なのである。





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記:るん





2012年4月22日日曜日

映画 『ゴーストハンターズ』 エンターテイメント全部のせ





 『ゴーストハンターズ』/1986/監督:ジョン・カーペンター/英/カラー/2012.4.2記

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 B級映画を語る上で絶対に外せない映画監督、ジョン・カーペンター。そのカーペンターがコメディチックなカンフーアクションに挑んだのが本作。ホラーが多い監督の中では明るく楽しめる作品になっています。





 それでもいつもの低予算的な味わいが良さがある・・・と思っていたら、彼の映画としては破格の予算がかかっていたとか……。お金に関係なくユルさを出せるB級の申し子!


 トラック運転手のジャックは中国人の友人ワン・チーにギャンブルで大勝ちし、その取立に婚約者と空港で迎えにいくというワンに付き添う事に。その婚約者、緑の目を持つミャオ・インが到着したのもつかの間、彼女はホワイトタイガーという闇組織に拉致されてしまう。売春目的のために高値で売りさばくのが目的。ジャックとワンはそれを追うが、その途中でミャオは編み笠を被り不思議な妖術を操る男達"嵐の三人組"に連れ去られてしまう。"嵐の三人組"は中国の伝説の怪人ロー・パンの部下であり、ロー・パンはかつてかけられた呪いにより実体を失っていた。その実体を復活させるためには緑の目を持つ女と結婚し東方の神にささげる必要があり、そのためにミャオを誘拐させたのだった。


 ジャックとワンは霊能力者エッグ・シェンに助けを申し立て、その仲間とともにミャオ救出に向かう!というストーリー。


 主演はカーペンター映画の常連カート・ラッセル。他のカーペンター作品では物体Xを燃やしたり、伝説のアウトローで大統領救出したりのカート・ラッセルだが、本作ではコミカルなトラック運転手。しかも戦闘ではあまり役に立たない面白キャラを演じてる。オカルト、カンフー、モンスター、コメディ、ラブロマンスなど等あらゆる要素をゴチャゴチャに配置して、それをあまり整理できていない感じがある。それはもちろんマイナス要素だが、ただその雑然としたユルさが個人的にはなんとも心地いい。ロー・パンはなんでアメリカのチャイナタウンで暴れてるの!?アメリカ人いい迷惑!!とか、ワンがレストラン経営者の癖にやたら強っ!とかツッコみながら軽い気持ちで見るととても楽しいタンターテイメント作品。





 個人的なお気に入りは、嵐の三人組の登場シーン。何このスーパー戦隊並の無駄なポージング(笑)


 そういえば、穴から出てくる爬虫類っぽいクリーチャーと、フライング・アイのデザインが世界で活躍する日本人特殊メイクアーティストのスクリーミング・マッド・ジョージだとか。前者のクリーチャーは本当に一瞬しか出ないですが、フライングアイはグロテスクながらもどこかコミカルさもあるキャラクターで、かなり表情豊かでよく動いていてビックリしました・・……。凄いなぁ……。猿の惑星・創世記あたりを見て、いよいよもってCGのレベルが凄くなってきたなぁ・・・と思うようになってきた昨今ですが、やはりこういう造形物の魅力は強いなぁ、と再認識しましたね。



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記:ツン


2012年4月21日土曜日

映画 『人狼 JIN-ROH』 汝は人狼なりや?





 『人狼 JIN-ROH』/2000/監督:沖浦啓之/原作・脚本:押井守/日/アニメ/2012.4.01記

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 間もなく監督の新作『ももへの手紙』が公開されるな楽しみだなぁとか思いつつ人狼公開から既に十二年が経つことに気付き愕然としています。自分はまったく獣とは程遠い生き方しか出来ないのだなと思い知らされるには充分過ぎる年月でした。そんなわけで『人狼 JIN-ROH』です。


 人の皮を被った獣の物語。狼であり、犬であり、心を持たぬ殺戮機械である紅い眼鏡と赤ずきんの、ひたすら物悲しいおとぎ話。


「人と関わりをもった獣の物語には、必ず不幸な結末が訪れる。獣には、獣の物語があるのさ」





 第二次世界大戦でドイツが勝利した架空の世界で、ようやく占領統治下から抜け出し半ば強引に経済成長を推し進める日本。そこで繰り広げられる反政府組織と警察の闘争、警察内部での公安と特機隊の暗闘といった人間と人間の争いの中で静かに牙を剥く獣達。


 ひと――おおかみ。


 主人公、伏は首都警特機隊に所属する獣だった。その冷酷なはずの獣が、何故かセクトに所属する爆弾運搬役の少女を撃てなかった。そのせいで少女は自爆し、伏は降格と再訓練を言い渡される。物語はそこから始まる。


 公安に所属する友人、辺見に頼んで自爆した少女について調べた伏は、彼女の姉を名乗る女性、圭と出会う。圭との交流で、人間らしい情や温もりに触れ、次第にそれを求めるようになっていく伏。しかし圭は特機隊失墜のために公安が仕掛けた罠だった……。


 特殊部隊員と女スパイの悲恋ものに、童話赤ずきんのエッセンスを加えたストーリー自体は比較的単純な映画だ。以前にある知人が口にした言葉を借りるならまさしく「ハードボイルド赤ずきん」。この映画は、残酷な童話なのだ。
 伏に限らずこの映画の登場人物は皆感情の動きが少ない。少ないからこそ、ほんの僅かな起伏が際立つ。中でも伏の感情の動きは殊更に痛ましい。ずっと獣として生きてきた男が、ようやく手に入れた人としての安らぎと自分の生き様との間で揺れ動く様がとても悲壮に描かれている。果たして【ひと】でありたいのか、【おおかみ】なのか。





 その一方でヒロイン【赤ずきん】である圭の在りようも、やはり悲しいものだった。


 反政府活動に疲れ、安息を求めていた【赤ずきん】の圭は、警察内部の派閥争いという迷いの森の中で、伏という【おばあさん】と出会う。【赤ずきん】と【おばあさん】の交流はとても静かで、慎ましく、穏やかなものだった。けれど結局、【おばあさん】の正体は【赤ずきん】を騙している【狼】なのだ。


 クライマックス、独りでプロテクトギアに身を包み、無慈悲に公安を追い詰めていく伏。中盤の再訓練シーンでプロテクトギアは着装時の死角等の問題からフォーメーションが前提の装備だと自身の口から説明していたにも関わらず、単独の伏は銃弾に敢えて身を晒すようにしながらどこまでも機械的に対象を抹殺していく。自らの人間性を冷たく突き放し、ねじ伏せるかのような暗く無機質な殺戮シーンだ。棒立ちで銃を撃ち続けるプロテクトギアには何とも言えない凄味がある。そして「お前だって、人間じゃねぇか、伏!」と叫んだ辺見をも撃ち殺した伏を待っていたのは、圭を撃ち殺せという無情な命令だった。


 ただの機械になりきれず、ほんの一時、他者の温もりを欲して人という存在に憧れた獣は咆吼する。ラストシーンの圭の悲叫と伏の痛哭はひたすらにやるせない。





 銃声が響く。


 その銃声は【狼】を撃った【猟師】のものではない。


 【猟師】は【赤ずきん】を助けてはくれない。もっとも古い童話には【猟師】は登場すらしない。


 童話の結末が覆ることは、無かった。


 どれだけ人に焦がれようとも、【狼】は所詮、【おばあさん】の皮をかぶっただけの、獣なのだ。



「そして狼は、赤ずきんを食べた」



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記:みじゅ


2012年4月20日金曜日

映画 『摩人ドラキュラ(スペイン語版)』 技術確立以前が生んだ怪作





 『摩人ドラキュラ』/1931/監督:ジョージ・メルフォード/米/モノクロ/2012.4.5記

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 英国の弁理士・レンフィールドはトランシルヴァニアに住む貴族・ドラキュラ伯爵の頼みを聞き彼の古城を訪れる。彼は知る由もないが伯爵は吸血鬼だった……。レンフィールドを自らの下僕にした彼は20世紀のロンドンにやってくる……。





 『魔人ドラキュラ』が撮影された1930年代はサイレントからトーキーに移行したばかりで、まだアフレコ技術などは確立しておらず、スペイン語圏への進出も視野に入れていたユニヴァーサルはスタッフ及びラテン系のキャストに総入れ替えで本作の撮影を英語版撮影班の去った深夜に同じ脚本・セットを使用し行った。本作は当時の撮影水準からしてもどことなく平坦な画面の続く英語版と比べ、非常に映画らしい動きのあるカメラワークと演出の多さで高い評価を受けている。実際役者の演技も動きが大きく非常に生き生きとしたものとなっているし、主演女優も表情豊かで英語版よりはるかに色っぽいドレスを着込んで画面に花を添えている。


 先に記した撮影テクニックも功を期して、英語版より30分程上映時間が長いにも関わらずテンポははるかに良いものとなっている。良くも悪くも本作は華々しいホラーなのだ。


 妖気漂う英語版と同じ脚本を使用しているにもかかわらず、こちらは重苦しい雰囲気を微妙に感じることができない。単調ではあるものの英語版は淡々としたゴシックホラー本来の物静かな不気味さがあるのだ。


 それでも暗闇からレンフィールドを狙うドラキュラの従者達や眼力を発するドラキュラのアップ描写など異形のものを魅力的に描く演出に、怪奇映画好きとしては陶酔感に浸ってしまう出来なのだ。


 さて肝心のドラキュラ伯爵なのだが、アクションが大胆すぎてどのレビューを見ても当然評価は低い。本作の演出でベラ・ルゴシ扮するドラキュラが見たかったという意見も多い。


 しかし私はこの作品のドラキュラはこの役者(カルロス・ヴィリャリアス)で良かったのではないかと思う。第一こんなアップテンポな画面にルゴシを置いてしまってはあの気品溢れる不気味さが伝わらず、魅力が半減してしまうかもしれないじゃないか。 画面からはカルロス本人が物凄く楽しそうに演技しているのが感じられてくるしこちらのドラキュラにだって充分ルゴシとは違う魅力を感じることが出来る。ルゴシのドラキュラが死神博士ならカルロスのそれは地獄大使。大胆不敵ながらどこか憎めないドラキュラを楽しんでみるのもまた一興なのかもしれない。


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記:るん


2012年4月15日日曜日

映画 『ホーボー・ウィズ・ショットガン』 自由人も社会構造の束縛下





 『ホーボーウィズショットガン』/2011/監督:ジェイソン・アイズナー/加/カラー/2012.4.01記

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 「ホーボー」とは流れ者である。19世紀の終わりから20世紀初頭にかけての不景気のなかで、土地から土地へと日雇い労働者を続けながら旅生活をしていたホームレス達である。雇用契約が経済社会の中心になる中で彼らはサブカル的な目線から「自由人」とも称された。そのような社会に縛られていると自認する者達からの羨望とは裏腹に、実際は経済的理由に迫られて流れ者にならざるを得なくなってしまった者が多い。





 流れ者の「ホーボー」としか呼ばれない男は、悪徳が支配する混沌の街に降り立った。そこでは警察やメディアをも支配する「ドレイク」という男が支配しており、老若男女問わず毎日「虐殺ショー」が行われていた。住民は恐怖と好奇心で精神的支配を受けていたのである。やがて自尊心も肉体的にも屈辱を受け続けた「ホーボー」はショットガンを手に取り立ち上がり、自警的啓発を促す運動をはじめる。住民達は啓発に刺激されつつも、「ドレイク」に従わない者は殺され、従えば富を得るという社会的構図から脱する事に臆し、「ホーボー」を抹殺する事に歓喜的に協力していく。劇中で「ホーボー」は新生児に、社会に生きれば悪徳に染まり生きるか、虐げられるか、そして散弾銃を持つしかないと論じ、事を成した「ホーボー」は、善悪の彼岸たる調停者としての「地獄の番人」の後継に推挙されるが、これを断る。やがて「ホーボー」と「ドレイク」、住民達の構図は破滅的な最後を迎える事に成る。


 過剰なまでに悪徳がはびこる舞台の街だが、古い時代の生き残りである「ホーボー」という社会から隔絶された世捨て人から見た現代の街並と見れば自然な世界観だろう。それほど、社会から剥離した視点で眺めれば現代社会は奇異に映るのである。劇中で名前を呼ばれない「ホーボー」はそうした社会から隔絶した視点の象徴である。だがそうした視点を持てるのは、彼が社会に距離を置く間だけ。観測者が接触を図れば観測者では居られない。「ホーボー」という観測者の地位は社会的束縛下において強要された観測者としての地位なのである。「ホーボー」である事を辞めた時に、その視座は失われる。視座の認識は幻想であり、社会構造下における階級移動が発生するだけで、パラダイムシフトとイコールではない。「ホーボー」は社会から隔絶されてはいるが、所詮は社会構造の役職のひとつに過ぎない





 監督の故郷を考えれば、犯罪の温床となるカナダとアメリカの国境周辺を思い浮かべられる。形而上における無賃乗車を続けながら土地を旅する「ホーボー」にとって、「かつてあった規範的な社会」という幻想としてのカナダと、「現実としての退廃的な社会」としてのアメリカの溝は大きい。そして彼らにとってどちらも自らの住む場所ではないのだ。


 社会における囚人のジレンマや、概念が社会的人間を束縛する構図等、様々な社会的要因が示唆される。エクスプロイテーション映画に属される形態で観客側への批判的視線を盛り込む等(意外とその手の映画にはよくある手法とはいえ)、なかなか挑戦的であるといえよう。因みにエクスプロイテーション映画、ないしグラインドハウスものが好きな人に対して、このような能書きを垂れる行為は失礼にあたるので絶対にしないように


 ただし、そもそも当映画本編を観ても上記のような感想はまず抱かないので安心されたし。


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記:ヒロト


2012年4月12日木曜日

映画 『走れメロス』 ワタクシが携わりました作品を、評価しました





 『走れメロス』/1992/監督:おおすみ正秋/日/アニメ/2012.4.01記

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 「太宰治」の超有名作を没後50年ということで製作された。誰もが知るわずか16ページの短編を、劇場にて上演するべく大胆な改変を行い、アニメーション化した作品。監督は『ルパン三世シリーズ』のおおすみ正秋。助監督兼演出を『NG騎士ラムネ&40』のねぎしひろし。作画を『人狼 JIN-ROH』の沖浦啓之。背景美術を大野広司が担当した。


 田舎から妹の婚礼用具を求め、大都市「シラクサ」にやってきた朴訥な青年「メロス」。そこで大勢の路上生活の少年たちに襲われ、あわや全財産を盗まれる所を、「セリネ(セリヌンティウス)」によって助けられ、酒を振舞われ友人となる。その後、メロスは「カリッパス」という老人そして、「セリネ」の恋人であった「ライサ」とも知り合い、「セリネ」は非凡な才能を持つ石工であったが、数年前から酒に溺れ彫刻も作らなくなったのだと聞くしかし、以前に作った王宮の彫刻の見事さを聞かされ、「メロス」の心にいたずら心が湧いてしまい……。



※原作朗読(CV:大塚明夫)


 このように、シナリオも大幅なアレンジなら、作画の沖浦啓之も負けじと「メロス」を「鼻のでかいヌボッとしたうだつの上がらない青年」しかも、一瞥するとのっぺりとした絵として描き上げた……。しかし動き始めると、奥行きのある背景とキャラクター達が重なることで俄然活き活きとする、この演出には思い切りやられた……。


 そしてキャスト。

 「メロス」:「山寺宏一」/
 「セリネ」:「小川真司」/
 「ディオニシウス2世」:「小林昭二」/

 声優としても俳優としても、錚々たるメンバーが飾っている(あえて「ライサ」は出さないw)。小話として、絵コンテ段階ではセリネが亡き養父に悔いを語る部分で「おやっさん……」になっていた。シナリオ初稿時からディオニシウス王の声は決まっていたので一人ニヤ突いていたのだが初号で台詞が替えられていたときにはショックを受けたw





 と、言うわけで、ハイ!申し訳ございません、ワタクシが携わりました作品を、評価しましたことを懺悔いたします。ですが、この作品は思い入れ以上に良作として、数十回は見直しておりますのでご容赦下さい。これにて第一回卑怯な評価を終わりたいと思います。
 

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記:ドーガマン


2012年4月8日日曜日

映画 『ゴーストバスターズ』 NYは愉“怪”なゴーストテーマパーク!





 『ゴーストバスターズ』/1984/監督:アイヴァン・ライトマン/米/カラー/2012.4.01記

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 幽霊・お化けをバスターするってぇんですから、これはおどろおどろしいホラー大作? それともアクション巨編? はてさてどんな映画なのか……。ちょっとキャラクターに目を向けてみましょうか。





 まず主人公のバスターズたちですが… ペテン師のような言動で、女性を口説くことに血道をあげるベンクマンは、超常現象を飯のタネ程度にしか思ってなさそう(まさに幽霊駆除屋!)。逆に学者肌のイーゴンは研究対象にしか見ていない。気弱なロマンチストのレイモンドは、人類のピンチだってのに、自らの空想で最高に馬鹿馬鹿しい怪物(マシュマロマン!)を作り上げてしまう。おいお前ら、ちょっとは真面目にゴーストと対決しろよとツッコミたくなるような、当時ホラー映画にはありえなかった主人公たちです。


 バスターズ以外の人々、NY市民たちも見てみましょ。確かに場面場面でゴーストに悩まされている人たちは描かれるものの「ゴーストに市民権はあるか?!」なんて事が政治論争になったり(呑気だなァ)、最終決戦に向かうバスターズを、人種も世代も宗教も超えて、皆一体となって大歓声&チャント(*1)で迎え入れたり(楽しそうだなァ)、俯瞰で見ると皆、このゴースト騒ぎをなんだか楽しんでいるようにも見えるのだ。


 あれ、待てよ? ゴーストたちも結構愛嬌があるし、テラードッグだってセントラルパークの動物園で飼ったら人気が出そう。邪神ゴーザも手からバリバリと派手に雷を放出してたけど、バスターズには大して効いてなかったぞ?!


 前述のマシュマロマンの愛嬌は言わずもがな(こいつ人類を滅ぼす存在らしいけど、火炎放射器であぶったらいいおやつになりそうだよね)。……結局、本気で怖がって酷い目にあってるのはヒロインのディナくらいなのだ。


 ホラー? アクション? いえいえとんでもない。バスターズのゴーストに対するシラケっぷりやじゃれ合いに大いに笑っちゃう、「エクソシスト? ゴクローサン!」な80’sらしい実に愉快なコメディなのです。 まだ御覧になられていない方は是非! そして僕と、ホントに話進んでるんかいなの『ゴーストバスターズ3』が公開される事を祈りましょう!





 おまけ:マシュマロマンが夜のNYを闊歩するシーン。これって日本の怪獣映画、即ちゴジラの影響を多分に受けていると思うのです。短いシーンですが、怪獣王へのリスペクト精神に乾杯!



※1:チャント(chant) とは、一定のリズムと節を持った、祈りを捧げる様式を意味する古フランス語に由来する言葉である。日本語では一般に詠唱、唱和などと訳される。(wikipediaより一部抜粋)

 

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記:マツ