2012年1月3日火曜日

映画 『白いリボン』 この有刺鉄線を引いたのは誰だ!



『白いリボン』/2009/監督:ミヒャエル・ハネケ/墺・独・仏・伊/モノクロ/2011.1執筆

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 オーストリアの鬼才、ミヒャエル・ハネケ。
 『ファニー・ゲーム』位しか見た事がなく、友達のまた聞きで評判を知ったくらいの前知識。
 ただ、『ファニー・ゲーム』での、エンターティメントとしての暴力へのアンチテーゼを呈した姿勢、過去の作品群に
『カフカの城』や、何処にもない大陸をもとめるという意味を込めた『セブン・コンチネント』など……前知識を仕入れたので、なんとなく読みとれたかも。というのも、この『白いリボン』には一般的な映画的カタルシスは無い。
 第1次世界大戦前夜、プロテスタント、オーストリアの歴史。
 これらにまつわる問題をある程度理解していないと、サッパリになってしまう。実際途中はかなりサッパリだった。
 物語はプロテスタントの厳格な規律に守られたオーストリアの片田舎が舞台。
 しかし、少しずつ変化が忍び寄っていた。大人達は子供達が、
 自分達と価値観の違う化物に成長しつつある事に気付いている。

 
 「誠実に、質素たれ」

 
 もはやプロテスタント特有の価値観は子供達を納得させられるほどのちからを既に持たない。
 大人達側自身が、自らの欺瞞に崩れつつあるからだ。
 子供達の内に何が育っているのかに気づかないふりを続け、とりあえずの安心を得ている。
 村に起きた厄災は、その原因を適当な(おあつらえ向きの)人物に押しつける事で平穏を取り戻したと満足する。
 この映画では何も解決しない。事件が起きても、その全貌を明かす事もない。
 なにもしないまま、映画は終わりを告げる。
 それこそが、その現実を見ない姿勢が、やがてドイツ(圏)における既存の価値観崩壊と、信頼欠如、そして第三帝国の台頭を許すことになる。当時のオーストリア・ドイツに蔓延する「不安」「倦怠感」「忍び寄る変化」「目を背ける事」。そうした「無責任による価値の崩壊」を、ひとつの村という縮図で表現したのだと感じた。簡単に類似例を挙げるなら、カフカのような 当時の世相における虚無と不安を表現したといえる。何故、今更そんなものを題材にしたのか。


 「無責任による価値の崩壊」


 それは今まさに世界で起きている事なのではないかと、ハネケは感じたのではないだろうか。




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(追記:2012.1)公開時期より世相はまさに無責任のしっぺ返しをくらっているようだ。
まさに舞台のユーロは瓦解状態。日本限定でも色々該当する。白いリボンは本当に純潔の証か。


執筆:ヒロト

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