2012年5月27日日曜日

映画 『マイ・バック・ページ』 虚像は何者に成れるのか?





 『マイ・バック・ページ』/2011/監督:山下敦弘/日/カラー/2011.6.01記 ※2012.05.01加筆修正

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 安田講堂事件を経て、70年代も近づきつつある日本。革命は日本中の「知識層」を熱狂させ、社会は混乱の一途を辿っていた。だがその熱も冷め始め、次第に革命闘士の若者は社会に溶け込み、そして残された彼らは疎まれ始めていた。東京大学を卒業し、大手新聞社東都新聞(朝日新聞がモデル)週刊東都(週刊朝日)に勤める妻夫木演じる若者、沢田は焦っていた。ジャーナリストであるにも関わらずたいした記事も書かせてもらえない。前線に立ち革命闘士を追う東都ジャーナル(朝日ジャーナル)を横目で羨ましがる鬱屈した日々を過ごしていた。彼は既に卒業した者として安田講堂事件を遠目に眺めていた。一方で東大に通う松山演じる若者、梅山(偽名:片桐)は何かを変えたかった。目的は何もないが、革命を起こしたかったのだ。彼は東大入学前に安田講堂事件を遠目に眺めていた。





 時代の中心になれなかった若者が、彷徨い続け、あげく罪のない人を殺してしまい、そこからも逃げようと空転しつづけるダメダメ感が素晴らしい。実に笑える、胸糞悪い喜劇。そして骨組は現実に起きた物語なのだ。


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1.梅山

 松山演じる自称革命家梅山は、自身が設立した革命サークルで、同志と武装セクトに移行するかどうかで揉めていた。当初は文化的革命路線を提唱する仲間側が不利な空気であったが、「梅山君。君は武装革命をしてその先、何がしたいんだ?」と聞かれた梅山は「あぅ……あわわうー……」と、言葉に詰まってしまった。あげく「あ、そうか敵か、君は敵なんだな?我々を妨害しようとしている!」と相手を罵倒し自己批判を求めるよう強要する。これが数年前だったならば通用したかもしれないが、時代は変わりつつある。当初は梅山を支持していた講義室のサークル仲間達は、梅山の論点すり替えに反発し、サークル内での梅山の地位は失われる事になる。


 全世界的な新左翼の思考回路をうまく表した良シーンである。彼らはビジョンなどなき自らと外界を革命したかった子供達なのだ。方向性は違えど、WW1後のドイツでNSDAP運動に熱狂していた若者達も同じノリである。若者のはしかをこじらせるとこんな事になるのだ。



かつて教育学関連の教授に言われた、こんな言葉がある。


「なんで教師になりたいのか。言っておくけど、君達学生が実際に接した大人は、親と教師とテレビの向こうの人達位しかいない。それだけの世界観ならば、やはり親と教師とテレビの向こうの人達くらいしか、なりたいモノが無いんだよ」



 身分を偽って梅山達から金をまきとろうとした自衛官が、梅山達「赤邦軍」内ゲバ殺害を目前で見せられた事でビビり「同志!」とか言って、それまでの高圧的な自衛官将校(本当はヒラ自衛官)を演じていた態度を一変し犬に成り下がる下りなんて爆笑もの。内ゲバで殺された筈のメンバーは、赤ペンキを塗りたくったまま隠れて煙草をふかす。


 梅山が、疑心暗鬼になった恋人(ボスの威厳を保つ為のお飾り)を慰める(誤魔化す)為に「俺、お前がいれば他はいらないよ。俺はお前の為に世界を変えるよ」なんて、セカイ系よろしく台詞を吐いてセクロスしている隣の部屋(レオパレス以下の障子ごし)で、仲間の学生男女部下がペンキ塗りやらされるシーン。現実のセカイ系ってこういう事かと感心。


 部下と雑魚自衛官が、駐屯地で自衛隊殺害・武器強奪(揉みあいしている間に銃がどっか飛ばしてしまい、夜の暗闇で見つからず)しているのに、呑気にナポリタン食って漫画で笑う梅山。金がないから恋人に、妊娠したと親族から金をふんだくれとか言っちゃう梅山。自衛隊殺害事件が政治事件じゃなくて、単なる殺人事件として報道された後、行方をくらましていた梅山に対して、恋人と部下が「梅山さんは俺達を売ったりしないよ!」とか言ってくれているのに、捕まった梅山は仲間の居場所と名前を全部吐いた上に、「自分は責任者じゃない。実行犯は部下だし、実質指示していたのは別の人間(1・2回会って話しただけの京大全共闘代表前園)だ」とか言っちゃう。


 梅山=片桐のどうしようもない最低屑っぷりに、映画館でニヤニヤ。





 予告編の出来が非常に良く、松山演じる梅山が、さも大志抱く若手革命家で何か凄い事起こす人に見えるのも実に良い。蓋を開けると小物。出世欲と自己実現の場を求める、現場に出る度胸も無く、全部人任せな無責任者。うまくいかないとキレてしまい、周囲にアタリ散らし「僕は悪くないもん」とのたまう虚言癖。


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2.沢田


 妻夫木は情けない若者役やらせたら天下一品。一方でクールな悪役とかジゴロっぽいのとか、完璧超人をやらせても微妙になってしまう。何の作品かは名指ししませんがね。



 かつて私が取材関連の講義で言われた、こんな言葉がある。


「取材をすれば、自分と違う世界の人間について体験を語れると思うだろう。だがそれは違う。いくら取材を重ねても、それは取材という異質の空間で得た、嘘の塊だ。本当の体験ではない。他人のことについて語るとき、どこまで行っても、それはね。嘘なんだよ」



 沢田は、身分を偽ってドヤ街取材とかしていた。所謂取材におけるラポールを、相手をだます事で得ていた。それがそっくり松山によって自分に返される。主人公に対する物語の構成として秀逸だ。真実を伝えるとか言っている傍で、真実に対して自分自身が偽物として接し続けていたのだから、偽物には偽物しか近寄らないのも当然なのだ。梅山の事件を政治事件として発表したがっていた沢田は、社会部(新聞社会面)によって殺人事件として発表される事になり、梅山に裏切り者と罵られる。沢田は社会部にたてつくが、被害者の名前も覚えていない程、現実が見えていなかったのだ。雑誌表紙娘の忽那汐里が沢田に言い放つ『ファイブ・イージー・ピーセス』を引用しての「本当に泣ける人が好き」が全てを表している


 当初大物セクトの一員を語った梅山を、先輩ジャーナリストがすぐに嘘だと見破ったにも関わらず、沢田が梅山を信じたキッカケも、「雨を見たかい(歌詞はベトナム戦争におけるナパーム弾の雨だと講釈を垂れる梅山だが、後に作詞側がバンド内の不仲を表現したものと否定)」と「銀河鉄道の夜」という共通の趣味を持ち、同じような庶民派だと感じたから……。何処かで聞いた話だ。





 ドヤ街潜入取材の時、自分の過失で殺してしまった兎を埋めた後、お金を渡して誠意を見せようとする沢田に「そういう事じゃねえだろ」と呆れるタモツ。映画を見に行っても、同伴の忽那のことばかり見ていて、内容もシーンさえも何も覚えていないのに、「つまらない映画だったね」とか話しちゃう沢田。梅山達が、自衛官を殺害したニュースを聞いて、京大全共闘代表の前園に 「やりましたね!」「行動を起こしたのは事実です!」と嬉々として報告しちゃう沢田。被害者の苗字(正確には親)さえ覚えてなかったりする沢田。


 ラストの居酒屋で、ドヤ街取材対象だった元露店商のタモツと再会する。彼は辛酸なめた時代からなんとか這い上がり、店をもち、家庭を得ていた。そして彼は「嘘の沢田」像に対し、昔馴染みの友達として接する。


「あの頃、なりたいって言っていた記者になれたかい?」 


 彼の言葉は沢田の胸を刺す。


「結局……なれなかったよ」


 タモツは残念だったなと言い返し、続けて


「生きてりゃそれでいいよ」


 沢田はようやく観客に向かって泣くのである



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 梅山と沢田は何がしたかったのか。殺された自衛官は何故死ななければならなかったのか。虚言で自己実現しようとした若者達。それは新左翼のみならず、多くの事象の暗喩だ。嘘で塗り固めた虚像は、結局、何者にも成れない。


 



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記:ヒロト


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