『人狼 JIN-ROH』/2000/監督:沖浦啓之/原作・脚本:押井守/日/アニメ/2012.4.01記 ----------------------------------------------------------------------- 間もなく監督の新作『ももへの手紙』が公開されるな楽しみだなぁとか思いつつ人狼公開から既に十二年が経つことに気付き愕然としています。自分はまったく獣とは程遠い生き方しか出来ないのだなと思い知らされるには充分過ぎる年月でした。そんなわけで『人狼 JIN-ROH』です。 人の皮を被った獣の物語。狼であり、犬であり、心を持たぬ殺戮機械である紅い眼鏡と赤ずきんの、ひたすら物悲しいおとぎ話。 「人と関わりをもった獣の物語には、必ず不幸な結末が訪れる。獣には、獣の物語があるのさ」 第二次世界大戦でドイツが勝利した架空の世界で、ようやく占領統治下から抜け出し半ば強引に経済成長を推し進める日本。そこで繰り広げられる反政府組織と警察の闘争、警察内部での公安と特機隊の暗闘といった人間と人間の争いの中で静かに牙を剥く獣達。 ひと――おおかみ。 主人公、伏は首都警特機隊に所属する獣だった。その冷酷なはずの獣が、何故かセクトに所属する爆弾運搬役の少女を撃てなかった。そのせいで少女は自爆し、伏は降格と再訓練を言い渡される。物語はそこから始まる。 公安に所属する友人、辺見に頼んで自爆した少女について調べた伏は、彼女の姉を名乗る女性、圭と出会う。圭との交流で、人間らしい情や温もりに触れ、次第にそれを求めるようになっていく伏。しかし圭は特機隊失墜のために公安が仕掛けた罠だった……。 特殊部隊員と女スパイの悲恋ものに、童話赤ずきんのエッセンスを加えたストーリー自体は比較的単純な映画だ。以前にある知人が口にした言葉を借りるならまさしく「ハードボイルド赤ずきん」。この映画は、残酷な童話なのだ。 伏に限らずこの映画の登場人物は皆感情の動きが少ない。少ないからこそ、ほんの僅かな起伏が際立つ。中でも伏の感情の動きは殊更に痛ましい。ずっと獣として生きてきた男が、ようやく手に入れた人としての安らぎと自分の生き様との間で揺れ動く様がとても悲壮に描かれている。果たして【ひと】でありたいのか、【おおかみ】なのか。 その一方でヒロイン【赤ずきん】である圭の在りようも、やはり悲しいものだった。 反政府活動に疲れ、安息を求めていた【赤ずきん】の圭は、警察内部の派閥争いという迷いの森の中で、伏という【おばあさん】と出会う。【赤ずきん】と【おばあさん】の交流はとても静かで、慎ましく、穏やかなものだった。けれど結局、【おばあさん】の正体は【赤ずきん】を騙している【狼】なのだ。 クライマックス、独りでプロテクトギアに身を包み、無慈悲に公安を追い詰めていく伏。中盤の再訓練シーンでプロテクトギアは着装時の死角等の問題からフォーメーションが前提の装備だと自身の口から説明していたにも関わらず、単独の伏は銃弾に敢えて身を晒すようにしながらどこまでも機械的に対象を抹殺していく。自らの人間性を冷たく突き放し、ねじ伏せるかのような暗く無機質な殺戮シーンだ。棒立ちで銃を撃ち続けるプロテクトギアには何とも言えない凄味がある。そして「お前だって、人間じゃねぇか、伏!」と叫んだ辺見をも撃ち殺した伏を待っていたのは、圭を撃ち殺せという無情な命令だった。 ただの機械になりきれず、ほんの一時、他者の温もりを欲して人という存在に憧れた獣は咆吼する。ラストシーンの圭の悲叫と伏の痛哭はひたすらにやるせない。 銃声が響く。 その銃声は【狼】を撃った【猟師】のものではない。 【猟師】は【赤ずきん】を助けてはくれない。もっとも古い童話には【猟師】は登場すらしない。 童話の結末が覆ることは、無かった。 どれだけ人に焦がれようとも、【狼】は所詮、【おばあさん】の皮をかぶっただけの、獣なのだ。 「そして狼は、赤ずきんを食べた」 ----------------------------------------------------------------------- 記:みじゅ |
2012年4月21日土曜日
映画 『人狼 JIN-ROH』 汝は人狼なりや?
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