2012年7月8日日曜日

映画 『鉄路の闘い』 もう一つのノルマンディ







『鉄路の闘い』 /1945/監督:ルネ・クレマン/仏/モノクロ/2012.6.10記



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 第二次世界大戦末期のフランス、連合軍のノルマンディ上陸作戦に対処するため、ドイツ軍は戦線に物資や兵器を贈ろうと図るも、レジスタンス達は様々な破壊工作でこれを阻止せんとする。実際に起きた鉄道員たちの戦いを元に製作された映画である。ドイツ占領下のフランスにおける鉄道員レジスタンスの活動を描いた作品。





 監督は後に『禁じられた遊び』等で知られるルネ・クレマンである。国策映画なのであるが、戦後間もなくの戦勝ムードもあってかプロパガンダ的な思想描写はあまり感じさせず、非常に痛快な活劇的仕上がりとなっている。また登場人物を演じるは俳優ではなく、実際にレジスタンスとして戦中に活動していた者たちであり、役者ではないとはいえ本物ならではの一癖も二癖もある凄みをどことなく漂わせている。


 レジスタンス達が行う破壊工作は恐らく、実際に行われていたものだと思うのだが、年数が生み出したアナログ感がたまらない。かなり工程も細やかに再現されているために、スチームパンクやスパイ物を見ているようで非常に面白いのだ。メカニックシーンも多く鉄道車両を中心に実に多数の重機器を登場させており、そのすべてがパワフル映しだされおり、あまりにガンガン起動させるので発せられる蒸気と飛び散る機械油で画面がとにかく埃っぽくなってしまっているのも魅力的だ。





 対する独軍も多数用意され、実に細やかに描かれており、特に装甲列車の存在が圧巻である。重々しく砲塔を動かし、レジスタンスに狙いを定める描写のなんと迫力のあることよ(恐らく実物?)。また警戒車両としてつまれているルノーR35はきっちり列車から降ろされて、自走する姿も拝める始末。脱線シーンは本物のドイツ軍車両を列車に積んで実際に派手に脱線させる大盤振る舞いである。というかもったいないw


 この作品はルネ・クレマンの長編処女作となり彼の名を一躍有名にするものとなった。戦後すぐの作品ということで、元々は実物軍用車両が多数出演していることで興味を示し、恐らく説教臭い内容なんじゃないかなあと思って見たのであるがいい意味で裏切られた作品。


 題材的には堅苦しそうな雰囲気の漂う映画であるが、その実非常に骨太で力強い戦争映画である。





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記:るん





2012年6月25日月曜日

映画 『ダーク・シャドウ』 僕の愛した風景





 『ダーク・シャドウ』/2012/監督:ティム・バートン/米/カラー/2012.6.03記

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 たまには新しい作品でも。


わぁ……もう、「ティム・バートン」と白塗り「ジョニー・デップ」、「ダニー・エルフマン」の音楽が流れて、なんかしらの役で「ヘレナ・ボナム・カーター」が出るパターン飽きたわ~。チャリチョコあたりで飽きたわ~
※チャリチョコ=『チャーリーとチョコレート工場(2005)』



 と、自分の顔がミサワになるのを感じながら思ったというのが公開を知ったときの率直な感想。





 それでも一応「ティム・バートン」作品はおさえておこうという感じで期待しないで観にいったのですが、これが以外にもドハマリ! はっきり言って物語の構造としては今までの「ティム・バートン」作品の焼き直し感は否めないし、登場人物の描き方がちょっと薄味な気もしましたが(特にヒロイン)、70年代のアメリカ、ヴァンパイアや魔女の組み合わせが自分の趣味に完全に合致。あんまりにも自分の好きな要素ばかりなんで卑怯だ!とすら思いましたw。


 「ジョニー・デップ」の手の演技は「ベラ・ルゴシ」あたりを参考にしたのだろうか?『エド・ウッド』での勉強がこんなところで役にたったとしたらそれもまた面白いめぐり合わせですよね。


 ところで自分は以前EAから出ていた『SIMS2』というゲームにハマっていたんですが、そのゲームではレトロな田舎町の中で自分の作ったキャラクターを住まわせて自由に生活させるというもので、自分はこの映画のような街並みの中にまさにヴァンパイアのキャラを操作してパーティーを開いたりしてゲームの世界を満喫していたものです。そんなわけで映画の良し悪しはしばらく冷静に判断できないですが、最高に楽しめました。


 コメディとして売り出していた気がしたんですが、間違ってはいないけど正直結構シリアスだったりバイオレンスな部分も多少あり、なんかその歪でどう括って良いかわからない感じも好み。親族以外は割りと殺すなぁ・・・とか。





 あと直近のティム・バートン作品。具体的には『チャーリーとチョコレート工場(2005)』、『スウィーニー・トッド』、『アリス・イン・ワンダーランド』は、どれも自分が既にオリジナルを知っているせいで、あまり新鮮味がなかった。それに対して、今回の『ダーク・シャドウ』は全く知らなかった昔のアメリカドラマがベースになっていたのもまたよかったのかも。
※今作『ダーク・シャドウ』は60年代の米昼ドラのリメイク映画化


 そうそう、不良娘のキャロリン役の子は『キック・アス』のヒット・ガール役を好演していた「クロエ・グレース・モレッツ」で、素敵な成長の仕方をしていて本当これからもがんばって欲しいです。




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記:ツン


2012年6月18日月曜日

映画 『はやぶさ/HAYABUSA』 感動した写真を説明しても全然泣けねぇ


※ゲスト記事


『はやぶさ/HAYABUSA』/2011/監督:堤幸彦/日/カラー/2012.5.2記

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 皆さんは嫌なことやイライラ、落ち込んだりしたとき、どうやって解消してますか?


 私は提案します。夜空の星を見てください。宇宙に吸い込まれそうな感覚になり不思議な気持ちになります。そして自分はちっぽけに思えて、こんなことで悩んでるなんて・・・って思うことがたまにあったりしますので(笑)


 そんな「なんちゃって天体ファン」の私は2010年6月13日、7年間の旅を終えて地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」の大気圏突入の映像や「はやぶさ」が最後に撮影した地球をリアルタイムで見たとき目頭が熱くなりました。





 その後、「はやぶさ」人気になり関連映画3作品の中の第一弾。私が感動した場面はどのように描かれているのか非常に楽しみでした。当たり前で失礼な言い方なのかもしれませんが、西田敏行さんの演技がすっごくいいんです!とくに最初の登場シーンがすっごく普通の人っぽくって。これだから『釣りバカ』が流行るのか?頼みますから、声優業のお仕事はやらないでくださいっ!もったいないっ!!


 ……あ、話がそれました。


 そして、竹内結子さんです。実際のはやぶさプロジェクトには実在していない役であり、やや主役なのですが、あの竹内結子さんをダサく見せることができるんだ!とちょっと関心していたあとに出てきた『はやぶさ君』が曲者でして……。


 この『はやぶさ君』とは「はやぶさ」について子どもたちにわかりやすいように描かれた絵本で作中では竹内結子さんがこの絵本を作成しつつアニメ声?でセリフを言っているのですがこれがまぁいまいちでして・・・。その声でですよ!あの感動した写真を説明しても全然泣けねぇって!それも写真の尺が意外にすくねぇっ!もうがっかり。
最後まで見た感想は「竹内結子さんの役はいらない」でした。





 といいながらも、「はやぶさ」を打ち上げるまでの苦悩、打ち上げてから燃料漏れや通信不能などの障害との闘い、「はやぶさ」がいつ地球に帰ってくるかわからない間、定年退職や病気等で離れていくプロジェクトの人々。衛星が結果を出るまで当然なのですが工程がとてつもなく長いんです。そういうものこそ、これが達成されたときの気持ちってとてつもないものなんだろうなぁと思いました。


 あ、もうひとつ感想がありました。「主題歌が合ってなくてしつこい」です。



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記:ワイシャー


2012年5月30日水曜日

映画 『オペラ座の怪人(1925)』 稀代の怪優







『オペラ座の怪人』 /1925年/監督:ルバート・ジュリン/米/モノクロ/2012



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 言わずと知れたガストン・ルルーの小説を映像化したもの。1916年にドイツで製作されたものに続き映画化は2度目となり、一般によく知られている視聴可能なオペラ座の最初期となる作品である。


 本作におけるオペラ座の怪人ことエリックは後の作品に見られるような悲しき背景を持った異形の天才と言った描かれ方はまだされておらず、生来の外見の醜さと歪んだ精神をもったサイコパスとして原作に忠実なキャラとなっている。演じるは『千の顔を持つ男』ことロン・チェイニー。彼の扮するそれはまさに狂気の天才である。仮面舞踏会において死神のような紛争で客人たちを前に演説する姿は怪人の美学と自信に満ち溢れているのだ。





 本作のエリックはやはり他の映画とは一線を画した魅力を持っている。顔をパテや針金を使用して変形させてまで創りだした骸骨のような顔とサイレント独特の大時代的な演技で見事に狂人を表現しきっていると感じてしまう(因みにこのメイク時、チェイニーは鼻に金属を通して整形するためものすごい量の鼻血を流していたとの証言もある)。悲哀性を感じられない分、悪としての魅力が思う存分楽しめるのだ。


 そして現在も保存されているというオペラ座のセットは何か巨大な装置を眺めているようでワクワクさせてくれる。オペラ座華やかな舞台から乱雑な楽屋、そして断面図のように映し出される汚水に満ちた広大な地下水道と本当に一体いくつの舞台がこの劇場に存在するのかわからない。 これが怪人の潜む居城なのだから、ゴシックホラー好きにはたまらないものがあるのだ。 前述したとおりエリックは不慮の事故で精神が歪んだわけでない。そのためか劇場に身を隠していると言うよりはこの暗闇を愛しているからこそ地下水道に居を構えてるような印象を受ける。


 それがまた彼を闇の住人としての魅力を否が応でも輝かせてくれるのである。


 しかし、当時の映画製作者はある意味【歌】が主人公でもあるこの作品をサイレント時代に製作しようと考えたものである。冒険的な製作ながら本作は大ヒットを記録し、ホラー路線に懐疑的だった経営陣を振り向かせることに成功した結果、この後ユニヴァーサルは数々のゴシックホラーの古典的名作群とキャラクター達を生み出していくことになる。




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記:るん





2012年5月27日日曜日

映画 『マイ・バック・ページ』 虚像は何者に成れるのか?





 『マイ・バック・ページ』/2011/監督:山下敦弘/日/カラー/2011.6.01記 ※2012.05.01加筆修正

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 安田講堂事件を経て、70年代も近づきつつある日本。革命は日本中の「知識層」を熱狂させ、社会は混乱の一途を辿っていた。だがその熱も冷め始め、次第に革命闘士の若者は社会に溶け込み、そして残された彼らは疎まれ始めていた。東京大学を卒業し、大手新聞社東都新聞(朝日新聞がモデル)週刊東都(週刊朝日)に勤める妻夫木演じる若者、沢田は焦っていた。ジャーナリストであるにも関わらずたいした記事も書かせてもらえない。前線に立ち革命闘士を追う東都ジャーナル(朝日ジャーナル)を横目で羨ましがる鬱屈した日々を過ごしていた。彼は既に卒業した者として安田講堂事件を遠目に眺めていた。一方で東大に通う松山演じる若者、梅山(偽名:片桐)は何かを変えたかった。目的は何もないが、革命を起こしたかったのだ。彼は東大入学前に安田講堂事件を遠目に眺めていた。





 時代の中心になれなかった若者が、彷徨い続け、あげく罪のない人を殺してしまい、そこからも逃げようと空転しつづけるダメダメ感が素晴らしい。実に笑える、胸糞悪い喜劇。そして骨組は現実に起きた物語なのだ。


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1.梅山

 松山演じる自称革命家梅山は、自身が設立した革命サークルで、同志と武装セクトに移行するかどうかで揉めていた。当初は文化的革命路線を提唱する仲間側が不利な空気であったが、「梅山君。君は武装革命をしてその先、何がしたいんだ?」と聞かれた梅山は「あぅ……あわわうー……」と、言葉に詰まってしまった。あげく「あ、そうか敵か、君は敵なんだな?我々を妨害しようとしている!」と相手を罵倒し自己批判を求めるよう強要する。これが数年前だったならば通用したかもしれないが、時代は変わりつつある。当初は梅山を支持していた講義室のサークル仲間達は、梅山の論点すり替えに反発し、サークル内での梅山の地位は失われる事になる。


 全世界的な新左翼の思考回路をうまく表した良シーンである。彼らはビジョンなどなき自らと外界を革命したかった子供達なのだ。方向性は違えど、WW1後のドイツでNSDAP運動に熱狂していた若者達も同じノリである。若者のはしかをこじらせるとこんな事になるのだ。



かつて教育学関連の教授に言われた、こんな言葉がある。


「なんで教師になりたいのか。言っておくけど、君達学生が実際に接した大人は、親と教師とテレビの向こうの人達位しかいない。それだけの世界観ならば、やはり親と教師とテレビの向こうの人達くらいしか、なりたいモノが無いんだよ」



 身分を偽って梅山達から金をまきとろうとした自衛官が、梅山達「赤邦軍」内ゲバ殺害を目前で見せられた事でビビり「同志!」とか言って、それまでの高圧的な自衛官将校(本当はヒラ自衛官)を演じていた態度を一変し犬に成り下がる下りなんて爆笑もの。内ゲバで殺された筈のメンバーは、赤ペンキを塗りたくったまま隠れて煙草をふかす。


 梅山が、疑心暗鬼になった恋人(ボスの威厳を保つ為のお飾り)を慰める(誤魔化す)為に「俺、お前がいれば他はいらないよ。俺はお前の為に世界を変えるよ」なんて、セカイ系よろしく台詞を吐いてセクロスしている隣の部屋(レオパレス以下の障子ごし)で、仲間の学生男女部下がペンキ塗りやらされるシーン。現実のセカイ系ってこういう事かと感心。


 部下と雑魚自衛官が、駐屯地で自衛隊殺害・武器強奪(揉みあいしている間に銃がどっか飛ばしてしまい、夜の暗闇で見つからず)しているのに、呑気にナポリタン食って漫画で笑う梅山。金がないから恋人に、妊娠したと親族から金をふんだくれとか言っちゃう梅山。自衛隊殺害事件が政治事件じゃなくて、単なる殺人事件として報道された後、行方をくらましていた梅山に対して、恋人と部下が「梅山さんは俺達を売ったりしないよ!」とか言ってくれているのに、捕まった梅山は仲間の居場所と名前を全部吐いた上に、「自分は責任者じゃない。実行犯は部下だし、実質指示していたのは別の人間(1・2回会って話しただけの京大全共闘代表前園)だ」とか言っちゃう。


 梅山=片桐のどうしようもない最低屑っぷりに、映画館でニヤニヤ。





 予告編の出来が非常に良く、松山演じる梅山が、さも大志抱く若手革命家で何か凄い事起こす人に見えるのも実に良い。蓋を開けると小物。出世欲と自己実現の場を求める、現場に出る度胸も無く、全部人任せな無責任者。うまくいかないとキレてしまい、周囲にアタリ散らし「僕は悪くないもん」とのたまう虚言癖。


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2.沢田


 妻夫木は情けない若者役やらせたら天下一品。一方でクールな悪役とかジゴロっぽいのとか、完璧超人をやらせても微妙になってしまう。何の作品かは名指ししませんがね。



 かつて私が取材関連の講義で言われた、こんな言葉がある。


「取材をすれば、自分と違う世界の人間について体験を語れると思うだろう。だがそれは違う。いくら取材を重ねても、それは取材という異質の空間で得た、嘘の塊だ。本当の体験ではない。他人のことについて語るとき、どこまで行っても、それはね。嘘なんだよ」



 沢田は、身分を偽ってドヤ街取材とかしていた。所謂取材におけるラポールを、相手をだます事で得ていた。それがそっくり松山によって自分に返される。主人公に対する物語の構成として秀逸だ。真実を伝えるとか言っている傍で、真実に対して自分自身が偽物として接し続けていたのだから、偽物には偽物しか近寄らないのも当然なのだ。梅山の事件を政治事件として発表したがっていた沢田は、社会部(新聞社会面)によって殺人事件として発表される事になり、梅山に裏切り者と罵られる。沢田は社会部にたてつくが、被害者の名前も覚えていない程、現実が見えていなかったのだ。雑誌表紙娘の忽那汐里が沢田に言い放つ『ファイブ・イージー・ピーセス』を引用しての「本当に泣ける人が好き」が全てを表している


 当初大物セクトの一員を語った梅山を、先輩ジャーナリストがすぐに嘘だと見破ったにも関わらず、沢田が梅山を信じたキッカケも、「雨を見たかい(歌詞はベトナム戦争におけるナパーム弾の雨だと講釈を垂れる梅山だが、後に作詞側がバンド内の不仲を表現したものと否定)」と「銀河鉄道の夜」という共通の趣味を持ち、同じような庶民派だと感じたから……。何処かで聞いた話だ。





 ドヤ街潜入取材の時、自分の過失で殺してしまった兎を埋めた後、お金を渡して誠意を見せようとする沢田に「そういう事じゃねえだろ」と呆れるタモツ。映画を見に行っても、同伴の忽那のことばかり見ていて、内容もシーンさえも何も覚えていないのに、「つまらない映画だったね」とか話しちゃう沢田。梅山達が、自衛官を殺害したニュースを聞いて、京大全共闘代表の前園に 「やりましたね!」「行動を起こしたのは事実です!」と嬉々として報告しちゃう沢田。被害者の苗字(正確には親)さえ覚えてなかったりする沢田。


 ラストの居酒屋で、ドヤ街取材対象だった元露店商のタモツと再会する。彼は辛酸なめた時代からなんとか這い上がり、店をもち、家庭を得ていた。そして彼は「嘘の沢田」像に対し、昔馴染みの友達として接する。


「あの頃、なりたいって言っていた記者になれたかい?」 


 彼の言葉は沢田の胸を刺す。


「結局……なれなかったよ」


 タモツは残念だったなと言い返し、続けて


「生きてりゃそれでいいよ」


 沢田はようやく観客に向かって泣くのである



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 梅山と沢田は何がしたかったのか。殺された自衛官は何故死ななければならなかったのか。虚言で自己実現しようとした若者達。それは新左翼のみならず、多くの事象の暗喩だ。嘘で塗り固めた虚像は、結局、何者にも成れない。


 



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記:ヒロト


2012年5月26日土曜日

映画 『奇談』 「先生、最近古代ローマ人に似てるって噂ですよ」「よせやい」





 『奇談』/2005/監督:小松隆志/原作:諸星大二郎「生命の木」/日/2012.5.01記

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 諸星大二郎原作の映像作品と言われて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのはあの爽やかスプラッタ青春オカルトムービー『妖怪ハンター ヒルコ』でないかと思う。原作は妖怪ハンターの一作目である『黒い探求者』に『赤い唇』のテイストなどを盛り込み、およそ稗田礼二郎とは似ても似つかないジュリー演じるズッコケ教授がヘンテコ装置でヒルコを退治しようとする……あらすじだけ書くと原作ブチ壊しの駄映画みたいだがこれが何故か奇妙に出来が良い。原作とは別物だが別物なりの佳作なので未見の人は騙されたと思って一度見てみることをオススメしておく。





 ……と。


 そんなヒルコとは打って変わって『奇談』はなるべく原作の雰囲気に寄せて撮られている。妖怪ハンターシリーズの『生命の木』に、『天神さま』の要素をミックスしたこの映画は、東北の山奥にある隠れキリシタンの村、謎の神隠し、生命と知恵の木の実などのキーワードを散りばめたオカルト映画だ。


 オカルト映画というとジャンル的にホラーの中に分類されがちだが、全てがそういうわけではない。伝奇伝承神話民話などに基づき作られた超常、怪奇現象をテーマにする物語は別段ホラーとしての目的を有しているわけではないからだ。単にホラーとオカルトは食い合わせが良いと言うだけの話で、この映画の場合はホラーとしての要素は殆ど無く、それ故に今どき珍しい純正のオカルト映画なのだ。





 大学院生の佐伯里美には、幼い頃ある一時期の記憶が欠落していた。東北の親戚に預けられた際、一緒に遊んでいた少年新吉と共に神隠しに遭ったとされる時の記憶だ。その失われた記憶を求め、彼女は幼い頃の微かな記憶を頼りにかつて隠れキリシタンの里でもあった渡戸村へ赴き、そこで『妖怪ハンター』などとあだ名される異端の考古学者・稗田礼二郎と出会い、二人は村の謎を追っていく。


 渡戸村には【はなれ】と呼ばれる隔離地区が存在し、そこの住民は全員が七歳程度の知能しか有していないのだという。村で信仰されるカトリックとはまるで異なる信仰形態をもつ【はなれ】の住民の手による聖書をなぞらえた謎の奇行、古来より連綿と続く神隠しの歴史、永遠に死なないとされる「はなれ」の住民達、【はなれ】の重太老人が畏れながら口にする【いんへるの】【ぱらいそ】……。


 調査を進めていく内に、稗田はかつてヨーロッパの宣教師達がこぞって日本に渡来した影に「日本には生命の木が生えている」という伝説が当時まことしやかに流れていたのを思い出す。そして【はなれ】の外れにある洞窟の中で、稗田達は驚愕の【奇蹟】を目の当たりにすることになる。


 見終わってみると、そつなくまとめてあるようで『生命の木』と神隠しネタが思った程マッチしていなかったことに気付く。どうも摺り合わせが弱いというか、元々の原作が短編としてきっちり完結してしまっているので余分な要素を加えるのが難しいのだ。その点、『ヒルコ』の方が原作を重視していない分好き勝手に出来てしまっているとも言えるのだが、『奇談』の雰囲気作りへの努力は評価したい。音楽も川井憲次の偽神的な曲調がぞわりとくる。


 阿部寛の稗田礼二郎に関しては、映画館で初見の際はあまりに厳つすぎて「なんだこのマッシブで古武道やってそうな雰囲気の稗田先生は」と違和感もあったものの、DVDを何度か見直しているうちに気にならなくなった。知的でぶっきらぼうな雰囲気はむしろはまり役だったのかも知れない。特に真相に迫る際の淡々としつつも早口に捲し立てる演技は原作の稗田の特長をよく捉えていると言えるだろう。新作が執筆される際には「先生、最近古代ローマ人に似てるって噂ですよ」「よせやい」といった掛け合いでも欲しいくらいだ。


 諸星大二郎作品の映像化は非常に難しい。今時のエンターティメントとしてはどうしてもパンチに欠ける面は否めない。それでも、原作が持つ「オカルト作品」としての完成度と魅力はそれらを補って余りあるもので、その完全な映像化はファンとしてはどうしても期待してしまう。昨今の音と映像頼りな、ホラーとは趣の異なる、超常怪奇への好奇心を刺激してくれるオカルト映画が少しずつでも作られ続けていくことを願ってやまないのだ。

 ああ、『闇の客人』あたり映画化されないかなぁ……。




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記:みじゅ


2012年5月22日火曜日

映画 『チャイルド・プレイ/チャッキーの種』 自身をぶち壊して得た自由





 『チャイルド・プレイ/チャッキーの種』/2004/監督:ドン・マンシーニ/米/カラー/2012.5.1記

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 チャイルドプレイシリーズはチャッキーの花嫁から明らかなギャグ路線に進んだことはファンの間でも賛否分かれる所ではあるが、個人的には肯定派。三作目までの段階でホラー映画としてのマンネリ感、設定の苦しさが否めないと感じていたところに出てきた四作目の~花嫁は、見事にそこからの脱却に成功した作品である事は明白。





 三作目あたりからすでにコメディ的な部分が強くなっている気がして、でも笑っていいのかどうか微妙な雰囲気があったのですが、四作目はもう奥さんまで登場して躊躇なくコメディとして捉えていいんだという制作者と鑑賞者の双方の意思の一致を感じ、安心して見れるようになりました。


 元々チャイルドプレイと言えば殺人鬼チャールズ・リー・レイが警察の銃弾で瀕死の時、近くにあった人形にブードゥーの秘術で魂を移しなんとかその場をやり過ごし再び人間の体を手に入れるためにアンディ少年を狙う……。というのが前提の話だったのだが、三作目でそれが崩れ始め花嫁に至っては誰の体にも乗り移る事ができるブードゥーのペンダント登場でもはや自ら設定をクラッシュ。真面目さを捨てたその代わりに手に入れた自由がまた気持ちいいのなんの!


 五作目に至ってはついに子供まで登場……。しかもグッドガイ人形がまさかのメイド・イン・ジャパンであることが発覚……。その場面で流れるなんか尺八っぽい音楽。悪ふざけにもほどがある。


 子供の教育方針で夫婦喧嘩したり、チャッキーの花嫁の声を演じるジェニファー・ティリーが本人役で自虐的とも言える展開を見事に演じきっていたり、なんか間違った日本観がちらついたり、ジョン・ウォーターズやブリトニー・スピアーズが殺され、子供のために殺しをやめたいと思っても中々やめられないティファニーが電話でカウンセリングを受けたり、様々なホラー映画のパロディも盛り込んだりと大盤振る舞い。


 花嫁が作ったコメディ路線を更に突き詰めた見事な快作。『え?あのシリーズ五作目なんてあったの?』って扱いを受けているのは映画のマニアック方向性的にしょうがないかなと思う反面、ちょっともったいないなとも思ってしまいます。


 本作の公開時、人気シリーズにも関わらずミニシアター系扱いでわざわざ都内の映画館まで足を運んだ事。パンフレットが制作されていない、物販コーナーにあるグッズが全部前作の「チャッキーの花嫁」のものだったりとプッシュする気の欠片も感じない劇場の雰囲気を今でも鮮明に、さすがにもうちょい推してあげても……! と思ったものです。


 そういえばリメイクと六作目を作るそうですが、リメイクはともかく六作目の方は子供まで出しちゃったのにどうするんだろう? 孫登場? そういや、チャッキーもう新しい体に執着しなくなってきているしホントどうなるんだろう?

 
 なんにせよ観にいきますが。



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記:ツン


2012年5月15日火曜日

映画 『テラ戦士ΨBOY』 プールがやけに深い


※ゲスト記事


『テラ戦士ΨBOY』/1985/監督:石山昭信/日/カラー/2012.5.01記

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 はじめまして、ワイシャーと申します。今回、私がご紹介する映画は菊池桃子主演の『テラ戦士ΨBOY』です。


 数十年前、近くにあった映画館は1スクリーンしかなくチケットを買ってしまえば1日見放題でした。私は映画館で待つよう親に言われました。たぶんゆっくり買い物をしたかったんでしょうね……。そのとき上映していた映画は『テラ戦士ΨBOY』と『七福星』。この頃、ジャッキー・チェンが大人気だった時代で私もファンでした。ただ『七福星』では主役ではなかった(チョイ役)ため見ていてもつまらなかった。その反動のせいか『テラ戦士ΨBOY』のほうが記憶に残るぐらいよかったのです。





 記憶に残っているものは2つあります。


 ひとつは、モモコ(菊池桃子)率いる超能力が使える仲間6人の中にテレポーテーションが使えるトオルは、かなりの確率で目的の場所までテレポートできません。


「絶対変なところに移動するんだよ。……ほらっ、やっぱり


 役立たずのトオル。もうテレポート使うな!と文句を言ってましたが一番応援していたように思います。


 もうひとつは、終盤モモコが敵陣の部屋に入り、ボスであるゴールデン・フレイムが手にしているBOY(?)を部屋にあるちっさいプールにBOYをぽちゃん(プールの水はなにか特殊な液体だったような)。モモコはプールに飛び込みBOYを助けようとするのですが、プールがやけに深いんですね。1フレームで上から下へ潜るシーンが3,4回あったので。そしてこの後プールの水に溶けてしまったBOYはモモコの超能力を使いBOY(プールの水)はすごい勢いで部屋の天井をぶち抜けて宇宙へ帰っていくのです。水がなくなったプールの中で飛び出すBOYを見つめるモモコのシーンですが、プールが思った以上に浅かった!えぇぇぇっっっ!!??あの潜るシーンの回数はおかしくない!?見放題だったので2回目は注意しながら見たのですがやっぱり疑問が残る名シーンでした。


 最近、ネットで調べてみると間違って記憶しているところがちらほらあり、上から下へ潜るシーンではなく奥から手前へ泳ぐシーンが3,4回ありました。ただ感じ方は同じでちっさいプールでそんなに泳ぐ必要があるのか?という疑問です。プールが思った以上に浅かったのは当たってました。


 愚痴っぽくなってますが、本当によかったのです。


 モモコの仲間たちの演技がヘタでも、あらゆる行動に対してツッコミどころ満載でも、ラストのテンポの良さは好きでした。また当時の私に『SFファンタジー』という世界を体感させてくれたのがこの映画なのです。最後にこの映画の主題歌『BOYのテーマ』で締めくくろうと思います。




 ロンリ~ ロッマ~サ~ 出会いはミステリウィィ~~。


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記:ワイシャー


2012年4月29日日曜日

映画 『映画けいおん!』 表情以外の感情





『映画けいおん!』/2011/監督:山田尚子/日/アニメ/2012.3.30記

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 初めての記事を、アニメ記事から始めようと思った理由は幾らかあるが、最も大きな理由は「近くのレンタルビデオ店(TSUTAYA錦糸町店)が遠く、映画を借りに行きにくい」。 そういう、地理的な理由である。


 ……都心には、レンタルビデオ店が少ないのだ。


 話を戻そう。映画のけいおん。けいおんという作品に関して、私はあまり良い印象を持っていなかった。京都アニメーションの作る、京都アニメーションらしい日常作品だよな、という印象だった。



※これを見た時もタイミングが上手いな、素晴らしい戦略だという感想だった。


 一期も二期も流し見していた作品の映画を見に行こうと思ったのは 私の良き理解者であり友人であり恩人であるアニメ関係者から誘われたからだ。ならばよし、と意気込んでけいおんの復習をしてから劇場へ向かった私を待っていたのは、けいおんという世界と京都アニメーションの徹底ぶりだ。


 これほどロンドンのロケハンを行ったアニメ映画はない。京都アニメーションといえば綿密なロケハンが得意であるが、予想以上であった。見ていてまず「ロンドンに行きたくなる」映画であった。構図やレイアウトも勢いがよく、なおかつ女の子を可愛く見せることに重点をおいている。 その上で、一般層も取り込むために、目の大きさを工夫している。作品の流れも時間の流れがはっきりしており、日常描写を得意とする作品でありながら成長が伝わってくる作品だった。


 だが、ストーリーだけが魅力ではない。


 これまでアニメ作品でありつつ、一般層も意識した作品であるというのは幾らかあった。有名どころでは、スタジオジブリの作品だろう。だが、けいおんはオタク向け作品→一般向けというアプローチをしている。無論、TBSの全面協力による広報展開などメディア戦略はあっただろう。しかし、それを形にするのは困難である。だが、山田監督はそれをやってのけた。映画けいおんはオタクだけでなく一般層も劇場に足を運ぶ作品となっていたのだ。



※女の子を可愛く描くという点に着目して欲しい。


 スタッフも女性が多く、女性が見ても可愛い服や仕草などが取り入れられている。「可愛い」という点に置いては素晴らしいアニメであった。そして、私がそれ以上に心を打たれたのは「表情以外の感情」である。アニメ映画において、キャラクターの感情を出力するのは表情だ。しかし、脚だけのカットや、背中のみのカットなど、表情が映らないカットが非常にあった。だが、仕草でどのような感情が出ているかが分かるのだ。顔以外で感情が、伝わるのだ。非常に、ここまでできるものかと思わせる作品だった。京都アニメーション。なかなか素晴らしい映画を作ってくれたと思う。アニメ映画と馬鹿にせず、可能であれば観に行って欲しい。


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記:ゆとり王


2012年4月25日水曜日

映画 『マスク・オブ・ゾロ』 ヒーローの裏付け





『マスク・オブ・ゾロ』/1998/監督:マーティン・キャンベル/米/カラー/2012.4.01記

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「強きをくじき弱きを助く」のはヒーローの大原則であるが、怪傑ゾロもまたそんなヒーローの一人である。


 虐げられた人々を救うため、得意の剣術と馬術で悪に立ち向かう姿はまさに英雄。しかし富と権力に溺れる者たちから一方的にお尋ね者として首に賞金をかけられたせいでおおっぴらに動くことが出来ない上、自らを心の支えとする人々のために常に紳士たらんとすることを求められてもいる。それがゾロである。





 この映画は数ある「ゾロもの」の中でも少し変わり者で、ゾロの継承をテーマの一つに挙げている作品となっている。


 かつて敵と戦い勝利を収めたものの、代償として妻の命と娘を奪われ自身も投獄されてしまい年老いた初代ゾロと、その剣術を受け継ぎながらも心の内に潜む兄の仇への復讐心や憤りと葛藤する若き二代目ゾロとの掛け合いがこの作品の重要な部分となる。


 初めは粗野で乱暴な面が浮き彫りになる二代目ゾロだが、やがてゾロとしての風格が備わっていく。そしていざ敵地に乗り込もうとする際、初代から渡されるのは「ゾロの覆面=マスク・オブ・ゾロ」である。作品のタイトルを暗示するというのはよくあるベタなシーンだが、効果的だからこそよくあるシーンとも言える。





 この作品では二代目がゾロに相応しい実力を身に付けるための修行の様子が描かれている。キャラクターの成長に関する説得力とも言えるこの場面をきちんと表現しているからこそ初代と二代目との間に師弟関係が芽生えていくのも我々に伝わる。


 地味で目立たないシーンだが、派手なシーンばかりでは観ているこちらも飽きが来てしまう。それに気付かない作品が最近では増えているような気がするのは私だけだろうか。



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記:うづき


2012年4月24日火曜日

映画 『黒い蠍』 巨匠の意地









『黒い蠍』/1957/監督:エドワード・ルドウィング/特撮:ウィリス・オブライエン/米/モノクロ/2012.4.7記



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メキシコの僻地に新火山が現れてからというもの、近隣の村が何者かによって壊滅されたり、原因不明の惨殺死体が発見されるようになる。調査に訪れた主人公の地質学者はそこで信じられないものと遭遇する。





『ロストワールド』『キングコング』などで知られるストップモーションの先駆者、「ウィリス・オブライエン」が特撮部分を最晩年に手がけた作品。物語的に言えば当時のアメリカで大量に生産されたモンスターパニックと大差ないというか、『放射能X』の丸パクリみたいな内容である。しかしそこは「オブライエン」の手にかかった作品である。モンスターの迫力と存在感は、そんじょそこらのB級怪獣とは段違いである。本作主人公怪獣・巨大サソリは実に見事に節足動物然とした動きを披露しており、まあとにかくカシャカシャせわしなく動きまわってくれる。


はっきり言ってキモい


大群なして列車はひっくり返すわ人を挟んで食い殺すわ挙句仲間割れ初めて殺して食うわ、アップで映る顔はヨダレだらだら垂らしてるわで性格が虫過ぎて愛嬌のかけらもない。


またサソリの出身地・地底世界の怪物たちも実に魅力的で、不気味に這いずりまわる尺取虫状の生き物とそれを襲うサソリとの戦いや、トタテグモの巣穴みたいなところから出てくるダニみたいな怪物等、ハリーハウゼンのセンスとはまた違ったデザインのクリーチャーが画面狭しと動きまわって実に気色悪くて素敵である。





ラストは生き残った一番でかい奴がメキシコシティに乱入してひと暴れしてくれるのだが、通常兵器にとことん弱い米国の怪獣の中では実にタフネスで対戦車砲や戦車の一斉砲撃にもびくともせず、多数のヘリや戦車を撃破する暴れっぷりである(まあ戦車はこの時代でもさすがに古いんじゃないかってM3軽戦車なんだけど)。暴れに暴れて止めを刺されるわけだが、断末魔の動きも驚くほど節足動物のウネウネとした動きを再現してくれて感動ひとしおである。


キモいけど


オブライエンが最晩年に手がけた本作と、『海獣ビヒモス』は、まさにクリーチャーが狂ったようにのた打ち回りながら大暴れするのが印象的である。既に弟子であるハリーハウゼンが活躍する中、オブライエンは過去の人間になってしまっていた。 話題になることもなく密かに撮影されていた両作は名作とは言い難くも、巨匠が最後までその手腕を振るっていてくれたことを感じさせてくれる力強さに満ち溢れた魅力的な作品なのである。





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記:るん





2012年4月22日日曜日

映画 『ゴーストハンターズ』 エンターテイメント全部のせ





 『ゴーストハンターズ』/1986/監督:ジョン・カーペンター/英/カラー/2012.4.2記

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 B級映画を語る上で絶対に外せない映画監督、ジョン・カーペンター。そのカーペンターがコメディチックなカンフーアクションに挑んだのが本作。ホラーが多い監督の中では明るく楽しめる作品になっています。





 それでもいつもの低予算的な味わいが良さがある・・・と思っていたら、彼の映画としては破格の予算がかかっていたとか……。お金に関係なくユルさを出せるB級の申し子!


 トラック運転手のジャックは中国人の友人ワン・チーにギャンブルで大勝ちし、その取立に婚約者と空港で迎えにいくというワンに付き添う事に。その婚約者、緑の目を持つミャオ・インが到着したのもつかの間、彼女はホワイトタイガーという闇組織に拉致されてしまう。売春目的のために高値で売りさばくのが目的。ジャックとワンはそれを追うが、その途中でミャオは編み笠を被り不思議な妖術を操る男達"嵐の三人組"に連れ去られてしまう。"嵐の三人組"は中国の伝説の怪人ロー・パンの部下であり、ロー・パンはかつてかけられた呪いにより実体を失っていた。その実体を復活させるためには緑の目を持つ女と結婚し東方の神にささげる必要があり、そのためにミャオを誘拐させたのだった。


 ジャックとワンは霊能力者エッグ・シェンに助けを申し立て、その仲間とともにミャオ救出に向かう!というストーリー。


 主演はカーペンター映画の常連カート・ラッセル。他のカーペンター作品では物体Xを燃やしたり、伝説のアウトローで大統領救出したりのカート・ラッセルだが、本作ではコミカルなトラック運転手。しかも戦闘ではあまり役に立たない面白キャラを演じてる。オカルト、カンフー、モンスター、コメディ、ラブロマンスなど等あらゆる要素をゴチャゴチャに配置して、それをあまり整理できていない感じがある。それはもちろんマイナス要素だが、ただその雑然としたユルさが個人的にはなんとも心地いい。ロー・パンはなんでアメリカのチャイナタウンで暴れてるの!?アメリカ人いい迷惑!!とか、ワンがレストラン経営者の癖にやたら強っ!とかツッコみながら軽い気持ちで見るととても楽しいタンターテイメント作品。





 個人的なお気に入りは、嵐の三人組の登場シーン。何このスーパー戦隊並の無駄なポージング(笑)


 そういえば、穴から出てくる爬虫類っぽいクリーチャーと、フライング・アイのデザインが世界で活躍する日本人特殊メイクアーティストのスクリーミング・マッド・ジョージだとか。前者のクリーチャーは本当に一瞬しか出ないですが、フライングアイはグロテスクながらもどこかコミカルさもあるキャラクターで、かなり表情豊かでよく動いていてビックリしました・・……。凄いなぁ……。猿の惑星・創世記あたりを見て、いよいよもってCGのレベルが凄くなってきたなぁ・・・と思うようになってきた昨今ですが、やはりこういう造形物の魅力は強いなぁ、と再認識しましたね。



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記:ツン


2012年4月21日土曜日

映画 『人狼 JIN-ROH』 汝は人狼なりや?





 『人狼 JIN-ROH』/2000/監督:沖浦啓之/原作・脚本:押井守/日/アニメ/2012.4.01記

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 間もなく監督の新作『ももへの手紙』が公開されるな楽しみだなぁとか思いつつ人狼公開から既に十二年が経つことに気付き愕然としています。自分はまったく獣とは程遠い生き方しか出来ないのだなと思い知らされるには充分過ぎる年月でした。そんなわけで『人狼 JIN-ROH』です。


 人の皮を被った獣の物語。狼であり、犬であり、心を持たぬ殺戮機械である紅い眼鏡と赤ずきんの、ひたすら物悲しいおとぎ話。


「人と関わりをもった獣の物語には、必ず不幸な結末が訪れる。獣には、獣の物語があるのさ」





 第二次世界大戦でドイツが勝利した架空の世界で、ようやく占領統治下から抜け出し半ば強引に経済成長を推し進める日本。そこで繰り広げられる反政府組織と警察の闘争、警察内部での公安と特機隊の暗闘といった人間と人間の争いの中で静かに牙を剥く獣達。


 ひと――おおかみ。


 主人公、伏は首都警特機隊に所属する獣だった。その冷酷なはずの獣が、何故かセクトに所属する爆弾運搬役の少女を撃てなかった。そのせいで少女は自爆し、伏は降格と再訓練を言い渡される。物語はそこから始まる。


 公安に所属する友人、辺見に頼んで自爆した少女について調べた伏は、彼女の姉を名乗る女性、圭と出会う。圭との交流で、人間らしい情や温もりに触れ、次第にそれを求めるようになっていく伏。しかし圭は特機隊失墜のために公安が仕掛けた罠だった……。


 特殊部隊員と女スパイの悲恋ものに、童話赤ずきんのエッセンスを加えたストーリー自体は比較的単純な映画だ。以前にある知人が口にした言葉を借りるならまさしく「ハードボイルド赤ずきん」。この映画は、残酷な童話なのだ。
 伏に限らずこの映画の登場人物は皆感情の動きが少ない。少ないからこそ、ほんの僅かな起伏が際立つ。中でも伏の感情の動きは殊更に痛ましい。ずっと獣として生きてきた男が、ようやく手に入れた人としての安らぎと自分の生き様との間で揺れ動く様がとても悲壮に描かれている。果たして【ひと】でありたいのか、【おおかみ】なのか。





 その一方でヒロイン【赤ずきん】である圭の在りようも、やはり悲しいものだった。


 反政府活動に疲れ、安息を求めていた【赤ずきん】の圭は、警察内部の派閥争いという迷いの森の中で、伏という【おばあさん】と出会う。【赤ずきん】と【おばあさん】の交流はとても静かで、慎ましく、穏やかなものだった。けれど結局、【おばあさん】の正体は【赤ずきん】を騙している【狼】なのだ。


 クライマックス、独りでプロテクトギアに身を包み、無慈悲に公安を追い詰めていく伏。中盤の再訓練シーンでプロテクトギアは着装時の死角等の問題からフォーメーションが前提の装備だと自身の口から説明していたにも関わらず、単独の伏は銃弾に敢えて身を晒すようにしながらどこまでも機械的に対象を抹殺していく。自らの人間性を冷たく突き放し、ねじ伏せるかのような暗く無機質な殺戮シーンだ。棒立ちで銃を撃ち続けるプロテクトギアには何とも言えない凄味がある。そして「お前だって、人間じゃねぇか、伏!」と叫んだ辺見をも撃ち殺した伏を待っていたのは、圭を撃ち殺せという無情な命令だった。


 ただの機械になりきれず、ほんの一時、他者の温もりを欲して人という存在に憧れた獣は咆吼する。ラストシーンの圭の悲叫と伏の痛哭はひたすらにやるせない。





 銃声が響く。


 その銃声は【狼】を撃った【猟師】のものではない。


 【猟師】は【赤ずきん】を助けてはくれない。もっとも古い童話には【猟師】は登場すらしない。


 童話の結末が覆ることは、無かった。


 どれだけ人に焦がれようとも、【狼】は所詮、【おばあさん】の皮をかぶっただけの、獣なのだ。



「そして狼は、赤ずきんを食べた」



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記:みじゅ


2012年4月20日金曜日

映画 『摩人ドラキュラ(スペイン語版)』 技術確立以前が生んだ怪作





 『摩人ドラキュラ』/1931/監督:ジョージ・メルフォード/米/モノクロ/2012.4.5記

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 英国の弁理士・レンフィールドはトランシルヴァニアに住む貴族・ドラキュラ伯爵の頼みを聞き彼の古城を訪れる。彼は知る由もないが伯爵は吸血鬼だった……。レンフィールドを自らの下僕にした彼は20世紀のロンドンにやってくる……。





 『魔人ドラキュラ』が撮影された1930年代はサイレントからトーキーに移行したばかりで、まだアフレコ技術などは確立しておらず、スペイン語圏への進出も視野に入れていたユニヴァーサルはスタッフ及びラテン系のキャストに総入れ替えで本作の撮影を英語版撮影班の去った深夜に同じ脚本・セットを使用し行った。本作は当時の撮影水準からしてもどことなく平坦な画面の続く英語版と比べ、非常に映画らしい動きのあるカメラワークと演出の多さで高い評価を受けている。実際役者の演技も動きが大きく非常に生き生きとしたものとなっているし、主演女優も表情豊かで英語版よりはるかに色っぽいドレスを着込んで画面に花を添えている。


 先に記した撮影テクニックも功を期して、英語版より30分程上映時間が長いにも関わらずテンポははるかに良いものとなっている。良くも悪くも本作は華々しいホラーなのだ。


 妖気漂う英語版と同じ脚本を使用しているにもかかわらず、こちらは重苦しい雰囲気を微妙に感じることができない。単調ではあるものの英語版は淡々としたゴシックホラー本来の物静かな不気味さがあるのだ。


 それでも暗闇からレンフィールドを狙うドラキュラの従者達や眼力を発するドラキュラのアップ描写など異形のものを魅力的に描く演出に、怪奇映画好きとしては陶酔感に浸ってしまう出来なのだ。


 さて肝心のドラキュラ伯爵なのだが、アクションが大胆すぎてどのレビューを見ても当然評価は低い。本作の演出でベラ・ルゴシ扮するドラキュラが見たかったという意見も多い。


 しかし私はこの作品のドラキュラはこの役者(カルロス・ヴィリャリアス)で良かったのではないかと思う。第一こんなアップテンポな画面にルゴシを置いてしまってはあの気品溢れる不気味さが伝わらず、魅力が半減してしまうかもしれないじゃないか。 画面からはカルロス本人が物凄く楽しそうに演技しているのが感じられてくるしこちらのドラキュラにだって充分ルゴシとは違う魅力を感じることが出来る。ルゴシのドラキュラが死神博士ならカルロスのそれは地獄大使。大胆不敵ながらどこか憎めないドラキュラを楽しんでみるのもまた一興なのかもしれない。


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記:るん


2012年4月15日日曜日

映画 『ホーボー・ウィズ・ショットガン』 自由人も社会構造の束縛下





 『ホーボーウィズショットガン』/2011/監督:ジェイソン・アイズナー/加/カラー/2012.4.01記

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 「ホーボー」とは流れ者である。19世紀の終わりから20世紀初頭にかけての不景気のなかで、土地から土地へと日雇い労働者を続けながら旅生活をしていたホームレス達である。雇用契約が経済社会の中心になる中で彼らはサブカル的な目線から「自由人」とも称された。そのような社会に縛られていると自認する者達からの羨望とは裏腹に、実際は経済的理由に迫られて流れ者にならざるを得なくなってしまった者が多い。





 流れ者の「ホーボー」としか呼ばれない男は、悪徳が支配する混沌の街に降り立った。そこでは警察やメディアをも支配する「ドレイク」という男が支配しており、老若男女問わず毎日「虐殺ショー」が行われていた。住民は恐怖と好奇心で精神的支配を受けていたのである。やがて自尊心も肉体的にも屈辱を受け続けた「ホーボー」はショットガンを手に取り立ち上がり、自警的啓発を促す運動をはじめる。住民達は啓発に刺激されつつも、「ドレイク」に従わない者は殺され、従えば富を得るという社会的構図から脱する事に臆し、「ホーボー」を抹殺する事に歓喜的に協力していく。劇中で「ホーボー」は新生児に、社会に生きれば悪徳に染まり生きるか、虐げられるか、そして散弾銃を持つしかないと論じ、事を成した「ホーボー」は、善悪の彼岸たる調停者としての「地獄の番人」の後継に推挙されるが、これを断る。やがて「ホーボー」と「ドレイク」、住民達の構図は破滅的な最後を迎える事に成る。


 過剰なまでに悪徳がはびこる舞台の街だが、古い時代の生き残りである「ホーボー」という社会から隔絶された世捨て人から見た現代の街並と見れば自然な世界観だろう。それほど、社会から剥離した視点で眺めれば現代社会は奇異に映るのである。劇中で名前を呼ばれない「ホーボー」はそうした社会から隔絶した視点の象徴である。だがそうした視点を持てるのは、彼が社会に距離を置く間だけ。観測者が接触を図れば観測者では居られない。「ホーボー」という観測者の地位は社会的束縛下において強要された観測者としての地位なのである。「ホーボー」である事を辞めた時に、その視座は失われる。視座の認識は幻想であり、社会構造下における階級移動が発生するだけで、パラダイムシフトとイコールではない。「ホーボー」は社会から隔絶されてはいるが、所詮は社会構造の役職のひとつに過ぎない





 監督の故郷を考えれば、犯罪の温床となるカナダとアメリカの国境周辺を思い浮かべられる。形而上における無賃乗車を続けながら土地を旅する「ホーボー」にとって、「かつてあった規範的な社会」という幻想としてのカナダと、「現実としての退廃的な社会」としてのアメリカの溝は大きい。そして彼らにとってどちらも自らの住む場所ではないのだ。


 社会における囚人のジレンマや、概念が社会的人間を束縛する構図等、様々な社会的要因が示唆される。エクスプロイテーション映画に属される形態で観客側への批判的視線を盛り込む等(意外とその手の映画にはよくある手法とはいえ)、なかなか挑戦的であるといえよう。因みにエクスプロイテーション映画、ないしグラインドハウスものが好きな人に対して、このような能書きを垂れる行為は失礼にあたるので絶対にしないように


 ただし、そもそも当映画本編を観ても上記のような感想はまず抱かないので安心されたし。


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記:ヒロト


2012年4月12日木曜日

映画 『走れメロス』 ワタクシが携わりました作品を、評価しました





 『走れメロス』/1992/監督:おおすみ正秋/日/アニメ/2012.4.01記

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 「太宰治」の超有名作を没後50年ということで製作された。誰もが知るわずか16ページの短編を、劇場にて上演するべく大胆な改変を行い、アニメーション化した作品。監督は『ルパン三世シリーズ』のおおすみ正秋。助監督兼演出を『NG騎士ラムネ&40』のねぎしひろし。作画を『人狼 JIN-ROH』の沖浦啓之。背景美術を大野広司が担当した。


 田舎から妹の婚礼用具を求め、大都市「シラクサ」にやってきた朴訥な青年「メロス」。そこで大勢の路上生活の少年たちに襲われ、あわや全財産を盗まれる所を、「セリネ(セリヌンティウス)」によって助けられ、酒を振舞われ友人となる。その後、メロスは「カリッパス」という老人そして、「セリネ」の恋人であった「ライサ」とも知り合い、「セリネ」は非凡な才能を持つ石工であったが、数年前から酒に溺れ彫刻も作らなくなったのだと聞くしかし、以前に作った王宮の彫刻の見事さを聞かされ、「メロス」の心にいたずら心が湧いてしまい……。



※原作朗読(CV:大塚明夫)


 このように、シナリオも大幅なアレンジなら、作画の沖浦啓之も負けじと「メロス」を「鼻のでかいヌボッとしたうだつの上がらない青年」しかも、一瞥するとのっぺりとした絵として描き上げた……。しかし動き始めると、奥行きのある背景とキャラクター達が重なることで俄然活き活きとする、この演出には思い切りやられた……。


 そしてキャスト。

 「メロス」:「山寺宏一」/
 「セリネ」:「小川真司」/
 「ディオニシウス2世」:「小林昭二」/

 声優としても俳優としても、錚々たるメンバーが飾っている(あえて「ライサ」は出さないw)。小話として、絵コンテ段階ではセリネが亡き養父に悔いを語る部分で「おやっさん……」になっていた。シナリオ初稿時からディオニシウス王の声は決まっていたので一人ニヤ突いていたのだが初号で台詞が替えられていたときにはショックを受けたw





 と、言うわけで、ハイ!申し訳ございません、ワタクシが携わりました作品を、評価しましたことを懺悔いたします。ですが、この作品は思い入れ以上に良作として、数十回は見直しておりますのでご容赦下さい。これにて第一回卑怯な評価を終わりたいと思います。
 

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記:ドーガマン


2012年4月8日日曜日

映画 『ゴーストバスターズ』 NYは愉“怪”なゴーストテーマパーク!





 『ゴーストバスターズ』/1984/監督:アイヴァン・ライトマン/米/カラー/2012.4.01記

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 幽霊・お化けをバスターするってぇんですから、これはおどろおどろしいホラー大作? それともアクション巨編? はてさてどんな映画なのか……。ちょっとキャラクターに目を向けてみましょうか。





 まず主人公のバスターズたちですが… ペテン師のような言動で、女性を口説くことに血道をあげるベンクマンは、超常現象を飯のタネ程度にしか思ってなさそう(まさに幽霊駆除屋!)。逆に学者肌のイーゴンは研究対象にしか見ていない。気弱なロマンチストのレイモンドは、人類のピンチだってのに、自らの空想で最高に馬鹿馬鹿しい怪物(マシュマロマン!)を作り上げてしまう。おいお前ら、ちょっとは真面目にゴーストと対決しろよとツッコミたくなるような、当時ホラー映画にはありえなかった主人公たちです。


 バスターズ以外の人々、NY市民たちも見てみましょ。確かに場面場面でゴーストに悩まされている人たちは描かれるものの「ゴーストに市民権はあるか?!」なんて事が政治論争になったり(呑気だなァ)、最終決戦に向かうバスターズを、人種も世代も宗教も超えて、皆一体となって大歓声&チャント(*1)で迎え入れたり(楽しそうだなァ)、俯瞰で見ると皆、このゴースト騒ぎをなんだか楽しんでいるようにも見えるのだ。


 あれ、待てよ? ゴーストたちも結構愛嬌があるし、テラードッグだってセントラルパークの動物園で飼ったら人気が出そう。邪神ゴーザも手からバリバリと派手に雷を放出してたけど、バスターズには大して効いてなかったぞ?!


 前述のマシュマロマンの愛嬌は言わずもがな(こいつ人類を滅ぼす存在らしいけど、火炎放射器であぶったらいいおやつになりそうだよね)。……結局、本気で怖がって酷い目にあってるのはヒロインのディナくらいなのだ。


 ホラー? アクション? いえいえとんでもない。バスターズのゴーストに対するシラケっぷりやじゃれ合いに大いに笑っちゃう、「エクソシスト? ゴクローサン!」な80’sらしい実に愉快なコメディなのです。 まだ御覧になられていない方は是非! そして僕と、ホントに話進んでるんかいなの『ゴーストバスターズ3』が公開される事を祈りましょう!





 おまけ:マシュマロマンが夜のNYを闊歩するシーン。これって日本の怪獣映画、即ちゴジラの影響を多分に受けていると思うのです。短いシーンですが、怪獣王へのリスペクト精神に乾杯!



※1:チャント(chant) とは、一定のリズムと節を持った、祈りを捧げる様式を意味する古フランス語に由来する言葉である。日本語では一般に詠唱、唱和などと訳される。(wikipediaより一部抜粋)

 

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記:マツ


2012年3月26日月曜日

映画 『007 ゴールドフィンガー』 スパイについての認識





 『007 ゴールドフィンガー』/1993/監督:ガイ・ハミルトン/英/カラー/2012.2.16記

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 私がまだ小さい頃、外で遊べない日は『エレベーターアクション』というファミコンのソフトでよく遊んでいた。幼かった私はこのゲームの主人公が何をしているのかよくわからなく、兄に聞いても「スパイだから」としか説明されなかったので、スパイとは「屋上からマンションに侵入してエレベーターを使い、地下に停めてある車でスタイリッシュに飛び出す仕事」だと思っていた。この映画を観るまでは。





 スパイ映画の代名詞と言っても過言ではないのがこの『007シリーズ』であるが、現在までに主役である「ジェームズ・ボンド」を演じている俳優は六人いる。その中でもやはり私が推すのは初代ボンドを演じた「ショーン・コネリー」。彼の演技が後のシリーズに続く「ボンド人気」を決定的なものにしたのは言うまでもない。そしてその初代ボンドの中でも特に印象的な作品がこの『ゴールドフィンガー』である。『007シリーズ』と言えば驚くようなギミックを搭載した「ボンドカー」などの発明品が登場するが、その基盤となったのがこの作品だからであるが、何よりもインパクトが非常に強い。





 この映画ではユニークな殺人が行われるのだ。一度見れば一生記憶に残るであろうその殺人方法は、「全身に金粉を塗りたくる」というもの。字面だけでは吹き出しそうな方法だが、これにより殺された被害者はなかなかにショッキングな格好になっている。それ故に、犯人が被害者に丁寧に金粉を塗り込むシーンを想像するととてもシュールでおかしみがある。ちなみに「皮膚呼吸ができないと死ぬ」という噂はこの映画がきっかけで広まったのではと言われている。


 他にも、山高帽の縁を刃にして投擲武器として用いる敵が出てきたり、車のテールランプからオイルを撒くことで後続車をスリップさせたり、車のシフトレバーの隠しスイッチを押せば屋根が開いて助手席がポーンと飛び出したり・・・出てくるアイテムが当時画期的で、現在では漫画やゲームなどに採用されるほど面白い。





 助手席のギミックの説明をボンドが受けているシーンで、
「あぁ、どうせ助手席に乗っている女性や仲間を脱出させるために使うんだろうな」
と考えていたら見事に裏切られた時、予想を覆される楽しさを知ったのは私にとって本当に良い経験だった。


 この映画がきっかけで『007シリーズ』にどっぷりハマっていくわけだが、同時に、小学校高学年だった私はスパイについて「世界的な犯罪を防ぐために最新の科学技術を駆使して各国を飛び回りつつ美女をひっかけて実物大マリオカートを楽しむ職業」と、間違った認識をさらに深めていくことになった。
 

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記:うづき


2012年3月19日月曜日

映画 『戦略大作戦』 戦争活劇の魅力





 『戦略大作戦』/1970/監督:ブライアン・G・ハットン/米/カラー/2012.3.19記

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 第二次世界大戦末期のフランス。損な役回りばかり回ってくるジョー率いる小隊に、休暇中に転げ込んだ碌でなし少尉のケリーが持ってきた儲け話。不満が募っていた小隊は勝手に独軍が護る金庫のある街に進撃を開始する。


 今じゃ考えられないことだが90年代に差し掛かるまでアメリカにおいてはWWⅡは英雄譚であり、ヒーローたる兵士が痛快な活躍を演じる場であった。本作はそんな中で製作された映画の一つだが、様々な戦争活劇の名作が生み出されつくした後の70年制作だけあって、このジャンルの集大成的完成度を持ちながらも、異色作としての側面も垣間見せてくれる非常に内容の濃い映画となっている。何と言っても登場人物が愛国心や生きる為といった思い名目でなく、物欲から行動を起こすあたりが、それまでの戦争映画と一線を画している。





 キャラも誤って味方の陣地を攻撃して解任されたイーストウッド演じる少尉を始め、上官が死んだので前線に出ることもなくワインと女で日々を潰すちょっとキテるドナルド・サザーランドの戦車長等、相当癖が強く魅力的である。


 製作陣が見せる兵器へのこだわりなども当時としては珍しいくらい表現されており、実に様々な兵器が登場するのも楽しい。米軍側のシャーマンはもちろんのことハーフトラックもきっちりバリエーションされたものを別に用意され、思う存分活躍してくれるし、兵士の自分の獲物に対する信頼のセリフも粋で格好いい、曰く『シャーマンは良い戦車だぜ?、頼りになる』や『せっかく磨いた砲を雨で濡らしたくないんでね』など思わずニヤリとしてしまう。


 独軍車両も改造車両を駆使してかなり作りこまれた兵器がガンガン登場してくれる。特にティーガーはお馴染みT34改造車両でかなりSDなフォルムながら、細々したディテールのこだわりで相当な貫禄を醸しだしており、強敵として申し分ない迫力を持って大暴れしてくれる。また、独軍の人物も。それまでの戦争映画では史実の人物くらいしか人格を描かれることはなく、一般兵は戦闘マシーンのように描かれたのとはうって代わり、珍しく一部のキャラにはとても人間らしい愛のあるキャラ設定を作られている。





 命令に忠実な頑固なドイツ兵ではああるものの、お酒に弱くて機密情報べらべら喋っちゃう大佐や、騎士道精神にあふれた雰囲気を持ちつつお金の話で主人公と和解しちゃうティーガーの戦車長など……。本当に、人間として好きになれちゃう描かれ方をされているのも、この映画の魅力なのではないかなと感じてしまう。


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記:るん


2012年3月15日木曜日

映画 『スーパー!』 シャラップ!クライム!





 『スーパー!』/2010/監督:ジェームズ・ガン/米/カラー/2012.3.15記

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 冴えないダメダメ中年男フランクには、人生で完璧だった瞬間が二つある。最愛の人と結婚できた事と、逃走する犯人の逃げた方向を教え逮捕に協力したこと。その最愛の妻がドラッグディーラーに取られてしまったフランクが落ち込んでいるところに神の啓示(おそらく妄想)が聞こえ、彼はヒーロー”クリムゾン・ボルト”(特殊能力なし、武器はレンチ)となって自分の妻を取り戻すため、そして世の中の悪と戦うために勝手に自警活動を始める。





 この映画の中でヒーローが悪を倒すための暴力を全くかっこよく描かれていない。


 むしろ悪人相手とは言えレンチで頭を血まみれになるまで殴打するクリムゾン・ボルトの姿は自身が犯罪者というか狂人そのものである。演出がどう見てもスプラッターホラー。ヒーローと悪人の暴力が全く等しいものとして描かれているのがこの映画の特徴であり、クリムゾン・ボルトは自身の主観的な正義感によって次々とレンチで人を襲う。それがたとえ映画の列に割り込む程度の悪だったとしても。


 彼の行為が肯定されるかどうかは置いておくとして、しかし悪に対しての憤りや奥さんに対しての愛などフランクはむしろ純粋で優しい性格でああり、その事がこの行為の起点となっているのが面白い。


 しかし、この映画のテンションを加速させる存在が、クリムゾン・ボルトがフランクである事に気づいたコミックショップの店員リビーである。彼女はクリムゾン・ボルトの相棒"ボルティー"となり、一緒に行動することにするが、独善的とはいえ純粋な正義感で動いているフランクと違い、コミックの世界と現実世界がゴッチャになっていて、感情的でとにかく悪をボコボコにできればなんでもいいと言わんばかりのボルティーの狂人っぷりはフランクもドン引きするレベル。


 何せ相手を殺す勢いで躊躇なく暴力をふるい、狂喜している姿はそんじょそこらのヴィランを上回る外道っぷり。極め付けのセリフは「殺しちゃいけないと思わなかった」。ワォ!!


 過激な暴力で埋め尽くされている映画ではあるが、決して暴力を肯定的に描いているわけでもなく、かといって盲目的な非暴力精神も感じない。暴力の代償についてもしっかり描かれ中立的な視点でスッキリとしない世界を生きていくしかない人々を描いている点が素晴らしい。オチも含めて爽快感などとは無縁ながらも色々な解釈が考えられるような結末など色々考えさせられる怪作。



 "等身大ヒーロー"という点を追求した結果

 これはもうヒーロー映画と言えるかどうかすらわからないものとなっている。






 正義のあり方、暴力や狂気性と言った点で、『キック・アス』より重たく、『タクシー・ドライバー』よりはコミカルに、『ウォッチ・メン』よりだいぶ地に足ついた設定といったところだろうか? 個人的にお気に入りの場面は、ボルティー関連。完全自分の趣味の話になりますが、狂った女の子を見るのって最高に気持ちいですよね!ボルティーのあの正義を微塵も感じさせない狂気の笑いに首ったけです。あと彼女に正義はないですが、彼女の幼児体型っぷりは正義ですよね。


 フランクが奥さんがいなくなった哀しみを慰めるためにペットを飼おうとするが、ペットショップに行きウサギを見ながら「自分に飼われるウサギが可愛そうだ」と言って結局買うのを断念する情けないくらいに繊細なこの場面もすごい好き。自己否定の塊っぷりに自分はもう感情移入しっぱなしでした。


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記:ツン


2012年3月12日月曜日

映画 『サヴァイヴィング・ライフ 夢は第二の人生』 これはパイプではない





 『サヴァイヴィング・ライフ 夢は第二の人生』/2010/監督:ヤン・シュヴァンクマイエル/チェコ/カラー/2012.3.12記

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 「夢」を扱った切り絵アートとピクシレーションを最大限に活かした怪作。一見、あまりにも教科書どおりな心理学ネタ映画に見えるが、それこそこちらが分析家になったつもりで教科書には無い角度で見ると、また別の形が見えてくる。



※「夢と現がひとつになれば人生は完璧になる」このリヒテンベルクの言葉を映画と記事を最後まで読んでから考えてほしい

 うだつのあがらないエフジェンは夢を見た。それは名前がころころ変わる美しい女性との情事や、正体不明の子供に悩まされる夢だ。老いた女房の尻に敷かれる日々を送る真面目な彼は、せめて夢の中だけでも楽しく過ごそうと、同じ女が夢に出てくるようにオカルトや臨床心理士の力を借りて、夢の続きを意図的に見ていく。しかし夢は思わぬ形で彼の人生と交差していく。



 「思わぬ」と書いたが、それは心理学ネタを全く知らない者に限る。多少心理学をかじった者なら、心理学の創始者「フロイト」と「ユング」がどのような方向性で人の心を覗いて行ったのかは周知の事実だ。その為、宣伝文句で覚醒夢の話と銘打っている以上、誰でも判る結末へと収束していく。しかし、その収束の仕方が、まるで教科書の如く、美しい程に初期心理学的見地から収束していく。話の筋は先読みできるが、先読みできる人間は心理学ネタが好物なのと同義なので、ここまで美しく心理学ネタで構築されてくるとニヤニヤが止まらず感動してしまう。


だが本当にそれだけなのであろうか?



 監督の「シュヴァンクマイエル」はストップモーションのクレイアニメによる不気味な世界観で知られている。彼は20世紀初頭の不安な時代に産まれた芸術運動「シュルレアリスム」を非常に愛し、リスペクトしている。


 写真・複製技術の登場によって写実的な価値が芸術から廃れていった中で、彼らは人の想像的領域にこそ芸術的真髄があると説いた。一方20世紀初頭まで特権階級によって敷かれた芸術的指針が、二度の大戦や様々なイデオロギの狂騒で既存の価値観が崩壊し、信憑性が問われた事から、あらゆる面で革新的な運動をしなくてはならないという気運もあった。そして「シュルレアリスム」運動家「シュルレアリスト」達が芸術的革新の対象として目をつけたのが、複製も写真もとれない領域「夢」だったのだ。そしてその「夢」から人の心を分析しようと試みたのが心理学であった。つまり、「シュルレアリスム」を敬愛する「シュヴァンクマイエル」が、「夢」と「心理学」を題材にするのは当然であるし、内容構成が実に「心理学」的見地に沿って組み立てられているのは至極当然であるといえる。


 だが同時に「シュルレアリスム」は「芸術の解体」と「違う視点からのまなざし」を特徴としている。つまり単純に「シュヴァンクマイエル」が教科書通りの映画をつくる訳が無い(事実、彼はインタビューでこの映画を好きに解釈していいと発言していたらしい)。よって、好きなように私の解釈を述べる事にしよう。


 「夢」を扱った映画と宣伝されているが、「夢」のシーンは存在していないのではと私は思う。つまり映像で起こっている事象は全て現実なのだ。そうすると全ての物語が違った側面を見せる。


 ヒントは「夢」を「心理学」的見地から分析していく最中、それまで「仮定」であった事象を決定づけたセカンドハウスに残された写真と撮影者。かみ合ったパズルからエフジェンは自己完結し、ラストシーンへと向かっていく。だが都合よく見つかった数十年前の写真と、撮影者が癲狂院の患者である事について、物語に身を任せていると気にならず、物語が収束するカタルシスに流されてしまう。客観的に見て、この符号は信憑性に欠けるファクターだ。


 加えて、妻の夢にまで現れるエフジェンの夢の女性。エフジェンの夢に現れる集合的無意識・原型の存在、これらのユング的夢解釈のお膳立で、疑問を持たせないように構成されている。こちらも冷静に見れば、最終的にエフジェン独自の無意識下からの呼び声である筈の夢の女が、いくら夫婦とはいえ、直接的経験をエフジェンの幼少期と同期していない妻が、夢にその再現を見る事はまずありえない。妻が伝聞で聞いた心理学的解釈から、夢に再現されたといえるが、逆にいえばあれだけの情報での夢の再現であれば、彼女の主観がより多く介入する筈なので、夢の女は、妻が思い描く「障害」として類型されるだろう。


 写真の撮影者の件と、妻の夢に共通している事は、他方の「心理学」的見地から矛盾を指摘できる点を、カタルシスに不要である為、意図的に一方の「心理学」根拠からの物語的カタルシスに向けて誘導されている。


 では、エフジェンは「夢」を見ていないとするならば、彼はどうして「夢」の続きを所望し、心理分析に頼ったのだろうか。切り口として考えられるのはエフジェンの夢に現れる「子供」と、「乱暴な男」そして終始流される「奇怪な世界観の映像」だ。つまり、エフジェンが語り手のシーンは、エフジェンの主観による世界観なのではないか。


 糞真面目な人生を送ってきた彼にとって、「乱暴な男」や「子供」という側面は想定されえぬ事象だったのではないか。映画ではこれらの解釈として縦の時系列が用いられるが、それが全て横の時系列であったとしたらどうだろう。「夢」とされるシーンに現れる彼らはエフジェンただ一人の男なのだ。エフジェンという主観が彼らを、ありえない「夢」と解釈してしまえば、エフジェンにとってそれらは、まごうことなき「夢」である。


 そして夢の女は現実の女となる。巧みに「夢」に入るシーケンスをエフジェンや妻もとられているが、その後の映像が「夢」である保証はどこにもない。ましてや、「夢」とされるシーンも、現実とされるシーンでも、同じような切り絵とピクシレーションによる悪夢的世界だ。どちらが「夢」ともつかず差異は無い。「夢」で無いとするならば、女の行動はどのようなものであっただろうか。そして、ラストの浴槽のシーンはどう見えるだろうか。



 シュヴァンクマイエルは「シュルレアリスム」をリスペクトしている。ならば敬愛する「シュルレアリスム」や親密性の高い「心理学」のセオリー通りに作品を作る事がリスペクトといえるだろうか。答えは否だ。真に「シュルレアリスト」であるならば、「シュルレアリスム」さえをも解体する事を厭わない筈である。「シュルレアリスム」や「心理学」に詳しい者ほど、セオリー通りに事が運ばれればカタルシスに惑わされる。




既に両者は「既存の価値観」であり、「これはパイプではない」のだ。


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記:ヒロト


2012年3月4日日曜日

【映画】 「思いついた映画10」各ライターが今意識している映画 ※合同



「思いついた映画10」各ライターが今意識している映画

一般的に「好きな映画10」「ベスト10」とかは良く企画されます。ですが他視覚的に尺度を決めなくてはならず、すごく悩みます。他の方から異論がたくさん出ますしね。という訳で、社会学的認知を図るテストにつかわれる「自分を表す単語をどんどん並べてください」という手法を真似て、「映画作品と言われて思いつく作品10個を書いて下さい」という質問を当ブログライター8人に質問してみました。すなわちライターさんが現時点で無意識に強く意識している映画=「真の意味で今好きな映画(?)」という事になるかもしれませんね! それではどうぞ!


01 ヒロト

『アンダーグラウンド(クストリッツァ)』ブルーレイ4月発売が待てません。
『ストーカー(タルコフスキー)』宮崎駿と押井が完璧と言いのけた作品。やる夫スレ経由で知ったとか言えない。
『天使のたまご』『人狼』押井関連(後者は脚本)キター。
『天空の城ラピュタ』これを友達に見せながら1シーンずつ力説したのは良い思い出。
『ガメラ2レギオン襲来』レギオン萌え(怪獣的にも宗教的概念的にも)。
『ウイークエンド』『フィルム:ソシアリスム』ゴダール映画きたー。どっちも寓話系映画ですな。
『マルホランドドライブ』リンチ作品では一番好き。
『インセプション』ノーラン監督作品キター。「あの」ラストが無かったら意識してなかったかも。

 そんな訳で10個思いつきました。思ったよりもアニメ多かったかな。大半に共通しているのは『不思議の国のアリス』的寓話世界って事ですな。20世紀初頭~50年代フェチは『アンダーグラウンド』『ラピュタ』で埋めている感じがする。

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02 ツン

『遊星からの物体X』
『ロスト・イン・ラ・マンチャ』
『シザーハンズ』
『チャイルド・プレイ』
『キラークラウン』
『ロッキー・ホラー・ショー』
『ミディアン』
『ヘルレイザー』
『バッドテイスト』
『シュラム』

(質問の意図を読んでからのコメント)まぁ確かに。当然といえ、自分の趣向丸出しな感じ。あとよく見ると邦画がひとつもないですね。ちなみに11番目に思いついたのがガメラ2だったので惜しかった。

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03 うづき

まず思いついたのは『ゴッド・ファーザー1・2』の二作。3は浮かばなかったのでまぁそういうことでしょう。
同じようなジャンルで思いついたのは007、特に『ゴールドフィンガー』。
やはり自分は懐古厨なのかと思っていた矢先に浮かび上がるのは『マイ・フェア・レディ』と
『サウンド・オブ・ミュージック』のミュージカル映画。どうしても「誰でも知っている古き良き~」しか思いつかない。
全然映画を観ていないことに愕然としつつも『オペラ座の怪人』や『天使にラブソングを2』が出てくる辺り、
ミュージカル大好きだなと少し嬉しくなってしまいます。ミュージカルつながりで『美女と野獣』が思い出されますが、
ようやくアニメ映画が出ました。あまりアニメ映画って印象に残らないのかもと思っていましたが
『カールじいさんの空飛ぶ家』を思い出したので、印象なんて「何となく」でしかないのかとも思いますね。
そこから連想されたのは『のだめカンタービレ最終楽章』です。最後の二作品は最近映画館で観たものなので印象が強く残っていたのでしょうね。

 思いついた作品の内、半分は色んな意味で忘れられない作品です。何度も観るわけではありませんが、ふと思い出すことがこれからもありそうです。

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04 御花畑るん

『燃えよドラゴン』
『狂へる悪魔』
『オペラ座の怪人(1962版)』
『血を吸うカメラ』
『顔のない眼』
『顔のない悪魔』
『吸血原子蜘蛛』
『戦略大作戦』
『魔人ドラキュラ』
『ロボットモンスター』

 見た時うおおお!!面白いこれ!!って思った映画がやはり多いですね。アクションに興奮したり画面作りにうっとりしたり意外な良作っぷりに目を見張ったりバカすぎて爆笑したりと。

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05 ドーガマン

『ベンハー』
『バットマン(ティム・バートン)』
『シザーハンズ
『ミセス・ダウト』
『スティング』
『チャーリー』
『自転車泥棒』
『ニューシネマパラダイス』
『アメリカの夜(フランソワ・トリュフォー)』
『アンドリューNDR114』
一貫性がない!wそんで、やっぱり学生時代とか勉強のために!と銘打って、夜な夜なビデオを漁りまくっていた時の影響か、どうにもお勉強臭い作品群。なのに、最初は演出論とかの本を片手に見ていたものの、終わる頃には惹きこまれていたのも事実。結局、商業作品というのはこの形が一番なんだろう。結局見るの(も)好きなのであるw


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06 みじゅ

『ゴジラ』
『ガメラ2 レギオン襲来』
『ガンヘッド』
『さよならジュピター』
『惑星大戦争』
『ぼくらの七日間戦争』
『復活の日』
『風が吹くとき』
『劇場版宇宙戦士バルディオス』
『HANA-BI』
『この子の七つのお祝いに』

『ジュピター』と『惑星大戦争』はあきらかに「ダメな子ほど可愛い」枠。『この子の~』は最近DVD出てくれたおかげで久々に観たせいかパッと頭に。その他はだいたい好きなものがパパッと浮かんだ感じ。邦画だらけなあたり、自分は本当に邦画脳だってことでしょう。

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07 matsu

『プライベート・ライアン』
『ゾンビ』
『キル・ビル』
『ゴーストバスターズ』
『燃えよドラゴン』
『メジャーリーグ』
『スタンド・バイ・ミー』
『ターミネーター』
『マクロスフロンティア劇場版 サヨナラノツバサ』
『キングダム・オブ・ヘブン』

 ほら!わかりやすい映画ばっか揃ってやんの! キングダム・オブ・ヘブンは正直観ていて相当眠くなるのですが(長いよ145分!) 終盤の城での戦が大好物で、大好物で。合戦シーン目当てで、平野耕太先生の『ドリフターズ』をリドリーに実写化して貰いたいなぁ。

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08 【ゆとり王】

『劇場版そらのおとしもの 時計じかけの哀天使』先日届いた。
『映画けいおん!』3回ほど見に行った。
『アバター』出て来るVTOLがカッコイイ。
『ターミネーター2』「ジェームズ・キャメロン」といえばこれ。
『トレマーズ』友人が送ってきたDVDがこれだった。
『スターウォーズEP5帝国の逆襲』スターウォーズ見なおしたい。
『ガメラ大怪獣空中決戦』特撮も見たい。
『ゴジラvsデストロイア』家にあるはずのデストロイアのDVDがどこかに行った。
『ドランクモンキー酔拳』カンフー映画を観に行きたい。
『ノッティングヒルの恋人』英語の講義で使った。

総括として、ロボットが出てきたり兵器がばんばんミサイルや砲弾を撃つ作品をよく見ている。

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記:ヒロト/ツン/うづき/るん/ドーガマン/みじゅ/マツ/ゆとり王


2012年3月1日木曜日

【映画】 「第84回アカデミー賞」各ライターの感想 ※合同記事



「第84回アカデミー賞」各ライターの感想

2012アカデミー賞受賞式が日本時刻2月27日(月)に行われました。今年度作品賞はモノクロ&サイレントの『アーティスト』。対抗馬も『ヒューゴの不思議な発明』と、映画黎明期が舞台の作品がしのぎを削りました。さて「シネマノスタルジア」映画ライターの皆さんは今年度の賞レースにどのような感想を抱いたのでしょうか。
※当原稿はあえて授賞式前日に書いてもらいました。


01 ヒロト

 記事が出る頃には賞も決まっているでしょうけど、私的気になったものをいくつか。作品賞ノミネート作品の中では、『アーティスト』が一番インパクトありますね。厳密にはサイレント映画とは言い切れないそうですが、この時代でモノクロとサイレントに近いものを扱うというのは凄い。普通に考えたらバックがGOサイン出さない。つまりそれだけ中身で勝負できる骨太な作品だって事です。寝ちゃう自身あるけど、見に行きたいですね。『ヒューゴの不思議な発明』はSF映画の父、トリック映画の父「ジョルジュ・メリエス」を扱っている映画だけあって興味はあります。ただ、「マーティン・スコセッシ」作品は肌に合わないものが多いのも事実。そのうえ、どちらかというとファミリー向け仕様。さらに眼鏡人の大敵、3D映画。悩ましい。『ツリー・オブ・ライフ』は2011年夏に観たけど、あれは色々と凄かった。正否両方で(笑)。凄いけど、もう一度見る気力は無いなぁ。主演男優賞で「ゲイリー・オールドマン」が居るのがビックリ。私的には助演男優賞常連なイメージだったので。主演女優賞は「グレン・クローズ」を応援したい。ドラマ『DAMAGES』のファンなので。今作の『アルバート・ノッブス』も19世紀ダブリンの男装執事の物語と興味深い。全体的には、去年より地味と感じる。でも去年の作品賞『英国王のスピーチ』は実にがっかり作品だったので、『アーティスト』に期待したいね。あと、去年も『インセプション』で逃し、『J・エドガー』でも逃した「ディカプリオ」に愛の手を差し伸べてください。


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02 ツン

 作品賞ノミネート作品では『ミッドナイト・イン・パリ』が見たいですね。ウディ・アレン映画が好きだから。『ミッドナイト・イン・パリ』以外だと『アーティスト』がみたいですね。映画製作ネタ映画好きなのです。『ファミリー・ツリー』でノミネートされている「アレクサンダーペイン」監督だけど、彼のフィルモグラフィーを見て、『ハイスクール白書/優等生ギャルに気をつけろ!』っていうのがあって。この原題考えた奴、最低のセンスだなと思いました。しかも調べてみたら、結構面白そうな映画だったし! 今度借りてみよっかな。アカデミー賞2012全体に対しては、割と興味薄いです。大体において自分の好きな傾向のものはこういう権威と縁遠いものが多いし、日本的にはまだ公開されてない作品も多いのであんまり賞レース予想の楽しみが持てなかったりもするので。

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03 うづき

 今回のアカデミー賞で一番気になったのは『アーティスト』。白黒&サイレントということで何となく惹かれただけですが、その「何となく」が大事だと思います。やはり第一印象は重要ですね。他のノミネート作品では『ヒューゴの不思議な発明』が冒険ファンタジーなので観てみたい……。しかし、3D作品ということで少し敬遠。あまり3Dに興味が湧かないのは僕だけでしょうか。主演男優賞ノミネートの「ジャン・デュジャルダン」もどこか愛嬌のある顔つきで好感が持てますね。彼の表情も『アーティスト』に惹かれた理由の一つです。「ゲイリー・オールドマン」も久し振りに名前を聞いた気がするが、彼の渋さも健在のようで安心です。ただ、今回のアカデミー賞では「家族」をイメージさせる作品が多かったように感じます。何だか「似たり寄ったり」と思ってしまうのが少し残念な結果でした。

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04 御花畑るん

 作品賞ノミネート作品では『アーティスト』が気になります。サイレント映画やその当時の世界って非常に好きなので観てみたいですね。現代の視点で撮られたサイレントという部分も手法として気になるポイントです。1920年代を舞台としているということで『ミッドナイト・イン・パリ』も気になりますね。脚本賞取得しており、このジャンルの映画を余り見る機会が無いのでいいきっかけになるかなあと。新作を見ることが少ないのでこうやって記事を書くにあたっていろいろな映画のタイトルが目に入ったので、偏食しないで気になるものから色々観ていきたいと思います。

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05 ドーガマン
 作品賞ノミネート作品で観たいと思う作品は『戦火の馬』。「スティーブン・スピルバーグ」はやっぱりハズレなしだと思います。他には「ウッディ・アレン」。彼の事といえば『ボギー!俺も男だ』をVHSの頃レンタルで借りて何回も見たなあ。やはり脚本賞、アカデミーノミネート最多記録は伊達じゃないですね。

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06 みじゅ
 アカデミー賞2012関係は自分でも吃驚するくらい興味を引かれない、というか映画館で予告観ていて「あ、これ観たい」と感じた作品が一本も無かったのでノーコメントです。強いて言うならブラピのヒゲが気になります。面白い形に伸ばしてるなぁ。

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07 matsu

 うーん。今年度アカデミー賞にノミネートされた作品を眺めていると、やっぱり僕が好きそうなアクションとかSFとか、所謂「男子の大好物」みたいなのはないですねー。 昨年、一昨年あたりは食指が動く作品もぼちぼちあったのですが。作品賞ノミネートの作品の中から一つ選ぶとするなら、スピルバーグの『戦火の馬』を。『プライベート・ライアン」で、あれだけの戦闘シーンを描いてくれましたから、今度はなんぼのもんじゃい、とつい期待してしまいます。第一次世界大戦ではライフル銃の進歩によって、騎兵が無力化されてしまったという歴史があるんですよね……(え、作品テーマ的な事? 他の人に任せた!)。その他のノミネートでは……。「ケネス・ブラナー」が気になります。まぁこれは、アカデミー賞ノミネートだから、というよりは彼が此の頃関わった作品、出演では『ワルキューレ』『パイレーツ・ロック』、監督としては『マイティ・ソー』(アメコミ映画の監督やるなんてねぇ!)が、どれも個人的な当たりだったので気になるといった所です。英国のシェイクスピア俳優の大家を、後に同じ立場の人が演じるなんて、なんだか歴史やら運命やら、僕ら凡人には縁の無い単語が並びそうなロマンも感じますネェ。


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08 【ゆとり王】

 作品賞ノミネートの中では、『ヒューゴの不思議な発明』が見たいです。3Dで体験するというのは視聴体験として、たいへん目が疲れます。ですが、面白いと思うので積極的に見ておきたいのです。その他では、『マネーボール』。スポーツなどを取り上げて成長していくという作品は、基本的にそこまで失敗しないと思うので、気になります。また、『裏切りのサーカス』も気になる。スパイ映画はいろいろな心理描写があってこそだと思いますし、アクションを廃したという事なので、ぜひ見に行ってみたいと思います。全体的に、なかなかアカデミー賞を気にしないので。こうやって頻繁にコメント等を見て、作品を判断するという機会がなかったので、今回をきっかけに幾らかは参考にしていきたいと思います。

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記:ヒロト/ツン/うづき/るん/ドーガマン/みじゅ/マツ/ゆとり王


2012年2月28日火曜日

【案内】 「シネマノスタルジア」ライター紹介 ※合同記事



「シネマノスタルジア」ライター紹介

当ブログで記事を書いていただいている方の自己紹介です。更新される記事の傾向とかも掴めるかもしれません。ライターさんが増えれば随時追記していきます。

01 ヒロト
 当ブログの代表管理人のヒロトです。普段ネット上ではイラストとかを描いていました。過去形なのは現在休業中だからです。色々あってね。他に何やっているかと聞かれれば、主にtwitterで適当な事を呟くだけの簡単なお仕事をしたり、ラジオとか、このブログみたいに他の人を道連れにして行き当たりばったり企画を乱発するのが趣味です。漫画を乱発してはセルフ打ち切りするのも好きです。映画では主にサスペンス系が好きです。その中でも不思議の国のアリスの様に変な世界観のものが特に好き。作家ではタルコフスキーとかゴダールとか押井守とか、最近の人ではノーランとかですね。映画以外では、読書と音楽とhydeが好きです。完全インドア系です。読書量は減りましたが、新書とか積むのが好きです。音楽はV系が主に好き。レディオヘッドとか祈りの様な鬱さが好き。hydeが好き。ゴスロリも好きですが、着ません。誰か着て下さい。元々、人形遊びが好きなので、最近可動フィギュアが熱い。hydeが好き。

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02 ツン

 ツンです。twitterで映画とか色々つぶやいたり、イラスト描いてpixivとかにアップしたりしています。同人活動しているので、サークルブログも放置気味ですが一応やっています。モンスター、SF、スプラッター。ファンタジー。カルト。あとなんかゆるい感じの映画とか好きです。漫画描いたりイラスト描いたり油絵描いたり粘土で何か作ったり。あとカメラもってブラブラすること。カラオケで特撮系の熱い曲や筋肉少女帯とかを熱唱することとかもいいですね!。

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03 うづき

 初めまして。うづきと申します。普段は「やる夫の日常は生き地獄のようです」というスレを書いている非リア充で、昔の活動の影響でミュージカル映画をよく見ます。
 ですが、趣味の紅茶と違いそこまで映画に詳しくないので記事を書くのにも一苦労です。思い出補正のせいかリチャード・ギアは特に好きな俳優なのですが、あんまり作品を見ていない現実。ミュージカル系以外にも007やゴッド・ファーザーなどは繰り返し見るほど好きですかね。まぁ節操無し、と思っていただければわかりやすいかと。ともかく、今後も王道系の作品を取り上げた記事を書いていくつもりですのでどうぞよろしくお願いします。

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04 御花畑るん

 御花畑るんです。ツイッターに、スカイプ、ニコニコ動画を飲酒しながら眺めているという……。映画ジャンルとしては、主にモンスターパニック、ゴシックホラー、主にレトロな映画を見ていることが多いですね。1920~1960年代の映画を鑑賞している率が高いでしょうか。映画以外ではゲームですねー。SLG(シミュレーションゲーム)が特に好きです。

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05 ドーガマン

 どうも初めまして。ドーガマンと申します。普段のネット上の活動といえば、やる夫スレを作ってヒイコラ言っています。映画では主に好きなジャンルといえば……やはりといいますか、過去に生業(!)にしていただけにアニメですかねぇ。映画以外では、手広く趣味にさせていただいております。広く、ただし深さはくるぶしくらいです。

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06 みじゅ

 どうも。みじゅと申します。普段適当にネットで某掲示板だの某掲示板だの覗きつつグダグダとオタクライフを満喫しています。映画に関しましては雑食ですが基本的に洋画より邦画の方が好きです。洋画は理屈としては理解出来ても心情的な面ではどうにもやはり社会風俗や通念、倫理道徳の差なのか、奥底から「おおっ」となれるものが少ないように感じてしまうのですね。映画以外だと概ね読書とかその辺でしょうか。最近は懐ゲーのリメイク版とかプレイしては思い出に浸っています。どうもでした。
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07 matsu

 初めまして、matsuと申します。僕は元々アニメやマンガ、ゲーム、プロレス・格闘技などが好きなふっつーのオタクで、映画についてはTVで放送されているのをたまに見る程度でした(特撮やホラーはオタクの領分なのでそれなりに見てはいましたが)。僕が映画をよく見るようになったのは、伊藤明弘氏、広江礼威氏、園田健一氏といった方々の作品、すなわち「マンガ」がきっかけでした。カット割りや構図、台詞まわしにスピード感、はたまた判る人には判る小ネタなどなど、「映画の影響を受けている」と評される方々の作品を拝読するうちに、「これは俺も映画を見て勉強せにゃならんのではないか」と思い立った訳です。そう思い立ったのが4年程前でしたでしょうか。ちょうど近所のTUTAYAやGEOが100円レンタルキャンペーンを開始した事も相まって、「年間300本映画を見る!」と目標を立てて、前述の先生方が名前を挙げているタイトルを中心に見まくりました(アクションや戦争もの、SF、コメディなどが多かったと思います。今でもその手のジャンルの作品が好きですね)。結局なんとか250本くらいは見る事ができたと思います。初めて見る作品で得た感動や、昔見た作品を改めて見直しての新たな発見など、大いに自らの糧となりました。
 そのお陰で今も映画を見る習慣がつき、一言感想などをtwitterにちょいちょいUPしていたところ、ヒロトさんにお声かけいただき、当ブログに駄文を載っけて貰える事になりました。 なかなか纏まった文章を書く機会のない素人の文章なので、御見苦しい所もあると思いますが、ご容赦くださいませ。

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08 【ゆとり王】

 ゆとり王です。普段ネット上では、ローゼンメイデンのイラストとか見たり描いたりしています。ツイッターなどもしています。アカウントはyutoriouです。映画ジャンルとしては、アニメが好きですね。レイアウトをみたりカットの数などをカウントしたりもします。映画は何でも飽きなく見る事が出来ると思います。あえて好きなモノをひとつと言われると、「ターミネーター」がどうしてもインパクトが大きくて、好きですね。映画以外で趣味といえば、古書店街めぐりというか神保町探索です。いろいろな本を探して、読むことが好きです。評論文などを比較的多く読みます。

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記:ヒロト/ツン/うづき/るん/ドーガマン/みじゅ/マツ/ゆとり王


2012年2月26日日曜日

映画 『アッシャー家の末裔』 音を感じさせるサイレント





 『アッシャー家の末裔』/1928/監督:ジャン・エプスタン/仏/モノクロ/2012.2.25記

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 アッシャー家当主ロドリックに誘われた、彼の友人が訪れた不気味な洋館。友人がそこで目の当たりにしたのは、何者かに取り憑かれたようにして、妻の姿を描き続けるロドリックだった。不思議なことにロドリックの描く肖像画が美しく再現されていくごとに当の妻は生気を失っていくのだった……。エスプタンが実験的に撮影した映画と言われ、原作はエドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』をベースに『楕円形の肖像』と『リジーア』を加えアレンジされている。





 サイレント末期の傑作と謳われる本作はそれまで撮られた数々の怪奇幻想映画の集大成のような多彩な手法に彩られ、ポーの幻想的な世界観を見事に表現している。 映画を詩に例えたエスプタンらしく、荒廃的でありながら美しく描かれる舞台や表現がとにかくゴシックホラー好きな私をグイグイと画面に惹きつけてくれるのだ。


 不気味な生き物が映し出されながら描かれる漆黒の闇に包まれた階段、蝋燭が無数に立ち並び甲冑や柱時計に囲まれた鎖だらけの洋館……。これをまた影とアングルを多用した構成で映し出すため奥行きを異常に広く感じさせ、こちらの不安感を煽ってくれるのだ。後に撮られた『魔人ドラキュラ』のドラキュラ城を彷彿とさせる、この演出は当時としては非常に斬新なものであったのではないだろうか。


 演出部分にも様々な工夫が見られる。どちらかと言えば舞台的な動きを重視するため、役者や映画のキーとなる具体的な事例以外には動きを必要としていない感のあるサイレントにあって、実に細やかな画面の動きに気を配られており、サイレントにもかかわらず一つ一つのシーンから音が聞こえてくるような画面作りにも目を見張るものがある。





 その上、本作は映時間の短さに加え、上記で記した映像的な魅力も含め、サイレントに興味はあるもののなかなか手を出すには……という方にとって、実際に触れてみる良いきっかけとなる映画になるのではないかと思わせる映画だ。


 サイレントからトーキーになる過渡期の映画として非常に美しい。また後のゴシックホラー独特の妖しい絵作りの萌芽を感じさせる良作である。ぜひともご堪能の程を。


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記:るん


2012年2月23日木曜日

映画 『極道兵器』 坂口アクションの前に銃器は不要!?





 『極道兵器』/2011/監督:山口雄大・坂口拓/日/カラー/2012.2.22記

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 片腕をバルカン、片足をロケットランチャーに改造されたヤクザが父親の仇を討つため大暴れ!な映画。


 石川賢の漫画の実写版という事だが原作は未見。なわけでどれくらい原作のエッセンスを抽出しているかはわかりませんが、ただ映画全体に漂う荒唐無稽さや理不尽さからなんとなくその臭いは感じるなぁと思いました。





 主演は『VERSUS』、『魁!男塾』などで驚異的なキレのマジ当てアクションを見せ付けた坂口拓。


 映画の目玉はやはりヤクザが体に組み込まれた兵器を駆使して敵をバンバン倒していくという所なのだろう。


 だが、坂口拓のアクションがあまりにも魅力的過ぎて、むしろ飛び道具なんて野暮なものを駆使されるとかえって興ざめするという非常にバランスの欠いた映画でもある。とにかく生身でのアクションのキレが凄い!


 後半超長回しの1カットで延々と敵を倒し続けるシーンは圧巻。それだけのために見る価値はありかと思います。今日本が誇る素晴らしいアクションスターだと思うんでもっと活躍して欲しいなぁ…坂口拓。



 ちなみにこの映画ってスシタイフーンっていう、こんな感じのB級テイスト全開でヤクザとかニンジャとか外国人ウケしそうなエッセンスを詰め込み、間違った日本文化全開のバイオレンス映画を連発しているレーベルなんだけれども、さすがのボンクラ映画好きの自分でもそろそろ食傷気味かなという気がしないでもない。一応『ザボーガー』と『冷たい熱帯魚』もこのレーベルなんで、それが少し救いと言えるだろうか。





 しかしこれはこれでアメリカで言うところの『悪魔の毒々』シリーズでおなじみのトロマみたいなものだと思えば、このままショボいカルト街道を爆進してもらうのもいいかなぁ・・・なんて思っていたりなんかもして。


 ただ自分の趣味としては着ぐるみや特殊メイクがショボイのはそれはそれで味わいがあってよし!と楽しく見れるのだが、CGのショボい映像ってのは結構キツかったりするんで、トロマと比べるとどうしても落ちる感じがしてちょっとツライと感じる面もあったりするんですよね…それさえなんとかなれば個人的にはどこまでマンネリでもついていけるんですが!とにかくがんばってもらいたいです。あ、途中からもう極道兵器のレビューじゃなくなってる(笑)


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記:ツン


2012年2月22日水曜日

映画 『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』 凡庸な波





 『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』/2010/監督:エマニュエル・ローラン/仏/カラー/2012.2.20記

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 映画史でも、60年代にあらゆる革命を行ったとされるヌーヴェルヴァーグ運動の旗手「フランソワ・トリュフォー」監督と「ジャン=リュック・ゴダール」監督、そしてその間に挟まれて苦悩した俳優「ジャン=ピエール・レオー」を中心に描いたドキュメンタリー映画。非常に貴重な資料映像が魅力的だが、構成はヌーヴェルヴァーグらしく、どこかちぐはぐだ。





 両監督の共通点は批評家出身の映画監督である事。違いは作風にも表れる映画への姿勢に、政治への関わり等。


 トリュフォーは愛を描き、映画が常に自由な世界である事を守る。映画好きによる映画製作者のさきがけだ。

 ゴダールは映画による映画自身への刷新。映像で思想を語る攻撃的姿勢。トリュフォーは愛がストレートに感じられるのだが、ゴダールは説明しても何が凄いのかよくわからない。一般的な映画の凄さというよりも、常に映画へテンプレを当てはめようとする流れに対して、その枠をはがし、映画を問い続ける姿勢が映画史的に大きな価値を持つ。


 正直なところ両者を語る程の舌を持っていないのだが、私が彼らから感じたのは、こうした面である。


 すなわち、映画への愛し方の姿勢の違いだ。


 紐解くと、トリュフォーは特に出自が影響しているだと勘ぐる事が出来る。貧困層出身のゴロツキだった青春時代のトリュフォーにとって映画だけが救いだったという。彼にとって映画とは愛そのものなのである。だから、彼の映画は、愛に満ちた映画という思い出をつくる事が重視されている。一方で、フランス・スイス二重国籍でブルジョワ出身のゴダール。彼は、政治的積極性と作家主義による価値の刷新という、一見するとインテリ風のアナーキーでアヴァンギャルドな芸術志向という両面性を持つ。それは彼の出自による様々な価値観に触れる機会を持った事と無関係ではないだろう。様々な価値観と彼にとって映画を問い直す事が、社会と虚構を密接に繋げる映画への愛なのだ。


 そしてレオーは、トリュフォーと同じような出自を持つ。彼に十代半ばにして才能を見出され、以後トリュフォーの分身として『大人は判ってくれない』以降、トリュフォー自身の半伝記――ないし誰にでも感じられる青春期の感性の再現――アントワーヌ・ドワネルシリーズを演じる。いわばトリュフォーは肉親的な感覚の人生の先輩としての「兄貴」だ。一方でゴダールの元では助監督として経験を積み、彼の映画を刷新し続ける姿勢と政治的姿勢に感銘し、数々のイデオロギー的映画に出演し、思想を固めていく。いわばゴダールは精神的な「兄貴」だ。




 
 やがてトリュフォーとゴダールは、「ラングロワ事件」「五月革命」「カンヌ国際映画祭中止事件」を経て、トリュフォーはメジャーな商業映画への道、ゴダールは匿名製作による社会主義運動映画という地下へ潜る。両者は互いに批判しあい、政治と映画への姿勢から対立していく。間に挟まれて、両者を慕うレオーは苦悩していくとう訳だ。

 
 ここまで書けば、三者の関係をドラマチックに描くのかと思えば、そんな描かれ方はしない。この映画は思ったよりも普通のドキュメンタリーなのだ。映画中に出演するキャラにインタビューする映像を流す等、面白い事をたくさんしていたヌーヴェルヴァーグを扱ったドキュメンタリーとは思えない程、凡庸なつくりだ。そう、普通すぎる

 
 両者監督とヒッチコック、ラングの供宴映像等、貴重な映像が盛りだくさんなので、それだけでも大きな価値のある映画だ。個人的に、もっと三者の関係をウェットに演出しても良かったと思う。もちろん、ゴダールは存命だし、貴重な資料映像を無碍にするような過度な演出は、事実と大きく異なるため、批判の的となるに違いない。逆をいえば、実際にレオーは苦悩したが、宣伝でいうほど三者の関係にドラマチックな面は無いという事だ。


 それでも、トリュフォーとゴダールを扱っているのだから、両者の特性を活かした、愛の喜劇と、コラージュ的な政治的姿勢を持ったドキュメンタリー映画にしても良かったんじゃないかと、私は悔やむのです。ふたりの子供レオー、ヌーヴェルヴァーグないし影響下にある、その後のインデペンデント系映画、演出等の孫達と同義なのだから。


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記:ヒロト


2012年2月20日月曜日

映画 『アビエイター』 自由の空に縛られている





 『アビエイター』/2004/監督:マーティン・スコセッシ/米/カラー/2012.2.20記

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 資本主義の権化ハワード・ヒューズの破天荒な伝記。彼の大胆な行動とキャラクター、功績には驚くばかり。だがどこか空虚なのだ。栄光の時代で映画が幕が降りる肩すかし感からなのか。私はその”先”に何を期待したのだろう。



※上記の劇中映像を、当時ヒューズはガチでやっているのだから恐ろしい


 ヒューズといえば、膨大な製作費を投じて映画を作り、作りたい飛行機があるから飛行機会社を作って成功するような資本主義の権化と呼ばれている男である。監督作『地獄の天使』では、リアルな空戦シーンが撮りたいが為に、本物の戦闘機を87機用意した。そこまではまだいい。自分で飛行機に乗って撮影すると言い出した。そこまでもいい。でも撮影に映える為に新飛行機を開発するとか、どうなのよ。因みに彼が経営する全米でTOPを争う事になる飛行機会社は、自身の監督作に自由に飛行機を出せるように、わざわざ作った会社。有難う御座いました。






 その一方で彼は奇行で有名な男だった。極度の潔癖症により、一度手を洗い出せば、掌が血まみれになるまでこすり続ける。キャサリン・ヘプバーン等、様々な女性と交際歴がありながら、自分がフラれると癇癪を起し、元カノの衣服を燃やす尽くす。急に同じフレーズを何度も繰り返し、他人の声が聞こえなくなる。自分が決めた行動パターンに逸れると発狂する等。そこまで言及しなくても、飛行機の世界最高速度を塗り替える為に、自分で乗って、墜落して大けがする大会社の社長とか。大金も呼び込むが、こんな社長に振り回される社員は大変だ。遂にはライバル会社に社会的に追い詰められると、ディカプリオ演じるヒューズの、だいぶレアな瓶小便を全裸実演が拝める。ありがたや、ありがたや。



※実際の飛行映像


 後に破滅への一歩となる「H-4 ハーキュリーズ」も、宮崎駿映画に出てくるような大型輸送母艦で、戦車数十台を空輸するというトンデモ飛行機である。第二次世界大戦における欧州戦線。大西洋の補給ラインで猛威をふるった独逸第3帝國のUボート対策が建前だ。だが、戦時中は完成せず、戦後も何故か作り続けているので本音は違う。一見して、社長の我儘で作られたように見えるが、彼にとって、それは迫られた”作らねばならない使命”だったのだ。


 本人はやりたい事をやる為に金を稼いでいるのだと嘯く。然し、劇中では幼少時に母から受けた「進歩者たる人間像」という強迫観念が彼の背景に常に付き纏う。映画ではハワード・ヒューズは資本主義の権化に成らざるを得なかったという描き方をしている。やりたい事をやってきたというよりも、”やらなければならない”と自らに課してきたという訳だ。それでも、直接的では無いにしろ、後の大型旅客機の概念に繋がるのだからたいしたものだ。


 2004年当時の時流に沿えば、資本主義突き進むアメリカ合衆国という国自身をハワード・ヒューズという人物に重ねて描写しているとも言えるだろう。現に劇中ではスキャンダルネタに事欠かない落ちぶれた晩年を、あえて直接描写せずに、強迫観念に追われ突き進むヒューズの破滅的な予感を漂わせながら終わる。浪漫に満ちた巨大な虚ろなる翼「H-4ハーキュリーズ」が宙に舞う姿を描きつつ、その翼が二度と空を舞う事はない事実は描かずに。時は経て2012年。




 彼は再び宙を舞えるだろうか。


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記:ヒロト


2012年2月18日土曜日

映画 『天使にラブソングを2』 物語よりも音楽よりも





 『天使にラブソングを2』/1993/監督:ビル・デューク/米/カラー/2012.2.16記

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 私はあまり同じ映画を何度も観ることはない。間隔が空けばまた別かも知れないが、基本的には一度で充分だと思っている。しかし、好きな音楽は何度も何度も部屋で流している。BGMとして今もお気に入りの曲を流している最中だ。


 この映画を何度も観てしまうのは、そういう意味である。






 ストーリーはよくある青春群像劇と言えるのかも知れない。勿論、面白いことは面白いのだが個人的には前作である『天使にラブソングを』の方がより面白いのでストーリーは二の次。


 この映画に私が求めるのは『音楽』である。


 ウーピー・ゴールドバーグのパワフルな歌声は、演じるシスター・クラレンスの破天荒な行動力にも通ずるところがある。だからこそ、彼女の歌声は活力を与えてくれる。それは物語の中でも、外でも変わらない。


 様々な事情を抱える問題児たち。その複雑な問題を歌うことで解決へと導こうとするシスターたち。彼女たちも魅力的なキャラクターでコミカルなムードを演出している。特にシスター・ロバートは前作での「気弱でおとなしい引っ込み思案」というどストライクな性格を少しばかり下方修正してはいるが、明るく積極的なウェンディ・マッケナも実に可愛らしい


 他にも、歌に対して真っ直ぐ向き合えない不器用な生徒役に若きローリン・ヒルが当てられている点に注目したい。彼女のソロパートは耳心地の良いもので、ゆったりとした安らぎを感じつつ、しかし身体の芯から新たなエネルギーがふつふつと湧き上がってくるような、不思議な感覚を味わうことが出来る。





 シスターたちも歌うシーンは数多くあり、『Ball of Confusion』ではとても聖職者とは思えない歌詞を熱唱したり、『Pay Attention』ではカンパを募ったりとなかなかにハジけた曲目が楽しませてくれる。『Ball of Confusion』ではシスター・ロバートはとてもアテレコとは思えないノリノリな演技で歌うシーンがとても可愛らしい


 そんなシスター・ロバートことウェンディ・マッケナは本人の歌唱力も高いのだが監督のイメージにそぐわなかったため、劇中では全て別人が歌っている。唯一彼女自身の歌声を堪能できるのはエンディングで流れる『Ain't No Mountain High Enough』である。是非一度、聴いていただきたい。


 色々と脱線してしまったが最後にこの映画の魅力をもう一度明記しておく。





 音楽云々より何よりも、シスター・ロバートはとても可愛らしい。この映画は、彼女を楽しむための映画である。

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記:うづき


2012年2月15日水曜日

映画 『呪いの館 血を吸う眼』 和製吸血鬼幻想





 『呪いの館 血を吸う眼』/1971/監督:山本迪夫/日/カラー/2012.2.14記

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 岸田森は吸血鬼である。

 岸田森と言えば、牧史郎だったり嵐山長官だったり水島三郎だったり坂田健だったり南原捜査官だったり……ともあれ、特撮をそれなりに見ていれば必ずと言っていいくらいお目に掛かる名優の一人だ。主演だろうと助演だろうと彼は常に画面内で独特の存在感を放っている。


 孤独で、寂しげで、子供向け特撮で明るい演技をしていてもどこか影のある岸田はまるで異邦人のような役者だった。


 そんな彼の東宝映画における代表作に、和製吸血鬼映画『呪いの館 血を吸う眼』と『血を吸う薔薇』がある。


 ハッキリ言ってしまえば日本という国は吸血鬼には似つかわしくない。日本の伝奇や怪談というのはじっとりジメジメとした人間の情を前面に押し出したものが多く、それがやはりお国柄なのだろう。対して吸血鬼というのは、鮮血は滴れどあくまでドライでクールな題材だ。実際、血を吸うシリーズの一作目に当たる『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』はあくまで和風なホラー映画だった。


 それを二作目で吸血鬼映画たらしめたのは、岸田森が演じたからだ


 画面の中の彼はまさしく吸血鬼だった。要所要所で他の役者達と同様顔を青白く目の下にわざとらしいくまを入れてドラキュラメイクをするのだが、正直そんなものは必要無かった。彼の吸血鬼度を著しく損なってさえいた。彼はただ立っているだけでナチュラルボーン吸血鬼なのだ。





 柏木秋子は悪夢に悩まされていた。幼い頃に愛犬と共に迷い込んだ洋館で目撃した女性の死体、薄気味の悪い老人、そして口元を血で汚した青年の金色に光る妖しい眼……。


 ある日、秋子の隣家に大きな棺が運び込まれる。以来、愛犬は殺され、親切だった老爺や最愛の妹である夏子は豹変し、遂には夢で見た幽鬼のような青年が現実に現れた。


 恋人である医師・佐伯の協力で失われた記憶を探る秋子。

 幼い彼女が洋館で出会ったのは果たして何者だったのか……。

 赤茶けた空、湖の畔、枯れ枯れのススキ野原、寒々しい森、そして洋館。

 ゴジラ対ヘドラなどでお馴染みの眞鍋理一郎によるおどろおどろしい音楽。


 そこに、岸田がいる


 幼い少女を自らの花嫁と見定め、十数年の月日を経てもつけ狙う悪辣な吸血鬼。

 酷いロリコン野郎なはずなのに不思議とそうは見えない。

 それは、彼が人間の条理から外れた吸血鬼だからだ。


 佐伯は吸血鬼をキチガイ呼ばわりする。自分を吸血鬼だと思い込んでいるだけの狂信者だ、この世に悪魔なんていない、と罵る。その言葉を嘲笑うかのように、岸田森が暴れるのだ。獣の如き唸り声をあげながら、それでもどこかクールに、ダンディに立ち回る。


 森の中に、洋館の階段上に、棺の傍らに。ひっそりと物静かに佇む爬虫類的で植物的な面差し。


 岸田森は、やはり吸血鬼なのだ。


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記:みじゅ


2012年2月14日火曜日

映画 『シャッターアイランド』 怪物の世界なら死んだ方がマシだ/
映画 『シモーヌ』 価値とは他人から見ればカルト/ 二本立


『シャッターアイランド』
『シモーヌ』 ※ネタバレ有





 『シャッターアイランド』/2010/監督:マーティン・スコセッシ/米/カラー/2012.2.13記

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 数日間ディカプリオ作品を立て続けに見ていたので「そういえば観てなかったな」と思い出しレンタルしてみた。以前に微妙だとアドバイスされていたのだが忘れていた。後悔した。


 過度に謎解きを宣伝する映画は、逆をいえばネタバレされてしまえば魅力が薄くなる作品が多い。


 その代表例が『シックスセンス』だろう。


 この手のものは宣伝方法にも問題がある。「絶対に結末を人に教えないでください」というキャンペーンが、この手の映画には必ずつきものなのだが、これをされれば観る側は「よぉし、絶対に推理してみるぞ。一体どんな謎があるんだい」と、完全に探偵モードになってしまう。つまりハードルが数段上がる。慣れている人になると、自分の中で映画に隠された謎のレベルをどんどん上げてしまい、途中で真実に辿り着いても「いいや、もっと謎は深い筈だ」と自己完結する。結局のところ、途中で気づいた答えが真実なのだが、終わってみれば残るのはガッカリ感と物足りなさだ。




「なんでぇ、こんなものか」


 勿論ネタバレはしないが、あえて仄めかすなら、戦争という人間の本性を垣間見てしまった人間にとって、人工的につくられた箱庭で、偽りの皮を被った正体不明の化け物どもがのさばる平和な世界ほど、


恐ろしいシャッターアイランド(閉ざされた世界)なのである。



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記:ヒロト






 『シモーヌ』/2002/監督:アンドリュー・ニコル/米/カラー/2012.2.13記

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 2012年2月に『ガタカ』のニコル監督最新作である『タイム』が公開されるので関連作でも観るかとレンタル。


 俳優に振り回されるのが嫌になった、売れない芸術家肌監督アル・パチーノは、自分の数少ないファンだった故人から譲り受けた女優シミュレーションシステム「SIM-ONE」をシモーヌとして女優デビューさせ、俳優至上主義たる世間と映画製作所をからかおうとする。だが結果は別の意味で大成功。シモーヌは清純派女優として世界的大ブレイク。然しパチーノ監督以外の作品には露出しない事から、監督は叩かれ、シモーヌの評価はうなぎのぼり。結局、俳優に振り回される運命にあるパチーノが四苦八苦するブラックコメディ。





 この手のバーチャルアイドル系は説得力の困難さを内包する。昔から作られた存在が偶像として求心力を集めるというものは多々あるが、視聴者側からすれば「ほんとかよ」という気持ちが起こるのは当然の流れ。そう思わせないだけの偶像をつくりあげるのは非常に難しい。逆にそうした偶像を崇める連中を奇異の目で眺めるタイプの作品もある。


『シモーヌ』は後者だ


 芸術家肌の監督が真実をぶちまけたい気持ちと、彼女のおかげで良い生活できていることのジレンマから苦しむ流れは、イメージの虚構で成り立つ映画界を実に皮肉っている。





 はっきりいって映画を観ても、シモーヌに魅力は無いが、演出的にただしい起用の仕方である。作られた存在である彼女に全世界が熱狂してしまい、誰も気づかない。端から(視聴者目線で)見ればカルトにしか見えない。だが、演技力やら作家性、ひいては芸術なんて、理解できないものからすれば、その信奉者はカルトにしか見えない


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記:ヒロト


2012年2月12日日曜日

映画 『蠅男の恐怖』 怪人と家族の絆





 『蝿男の恐怖』/1958年/監督:カート・ニューマン/米/カラー/2012.2.10記

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 深夜の工場にて奇怪な殺人事件が起きる。


 被害者は物理学者のアンドレ。彼はプレス機により顔と片腕を潰されていた。現場から逃走する姿を目撃されたのは何と彼の最愛の妻であった。アンドレの兄・フランソワの説得に応じ、彼女が語り始めた真相とは信じ難いものだった…





 本作の成功で続編が2本作られ、後に『ザ・フライ』としてリメイクされた古典SFホラーの名作と名高い映画である。SFXを駆使した迫力あるリメイク版異なり、クラシック映画ならではのサスペンスタッチで描かれた物静かな画面作りに重きを置いている(残念ながら続編二作は良くも悪くもいかにも50年代的で凡庸な変身怪人物になってしまっている)。


 また電送機の発明者にして蝿男たるアンドレはそれまでの変異物がどことなく漂わせてしまう事の多かった狂科学者的な描かれ方はされておらず、むしろよき家庭人として家族との暖かい交流を丁寧に描かれている。その事が怪物と化してしまった彼の悲しみと苦悩をなお一層強く伝えることに成功している。



 妻を怯えさせんが為に布で顔を隠し、声を発することすら出来なくなり、黒板とノックの回数でしか感情表現をする術しかなく、日に日に精神を蝿に蝕まれる彼と、彼を救わんがために悲しみにくれながらも健気に元の姿に戻す鍵となるアンドレの体の一部を持つ蝿を探す妻。そして疲労から次第にヒステリックになってしまう彼女に、事実を知るわけでもないのに優しく接する幼い息子を見ていると本作はホラーと言うよりは悲しくも美しい家族愛の物語として描かれているのではないだろうかと思えてくる。






 それ故に本作のアンマスクシーンは怪人の悲壮さを強烈に感じさせ、その直後に妻への想いを黒板に必死で綴る場面と合わせ変身物映画屈指の名シーンとなっている。映像的にも、カラーを意識したレトロ映画ならではの様々な美しいSF的光学表現や特殊合成も多用しており視覚において退屈させない作りになっている。


 さて、この映画において私が大好きなシーンがある。映画ラストにて幼い息子に父が死んだ理由を問われたヴィンセント・プライス演じるアンドレの兄が語るセリフである。


「探検家のようにだれも知らないことを調べて、真理を見つけたと思った時にちょっとだけ油断してしまったんだ


 真相は決しては差ないものの、決して嘘ではない、優しさに満ちた言葉ではないだろうか。


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記:るん
 

2012年2月9日木曜日

映画 『ピラニア 3D』 家族で和気藹々と観よう





 『ピラニア3D』/2010/監督:アレクサンドル・アジャ/米/カラー/2012.2.8記

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 この映画にとってストーリーなんて本当にどうでもいい


 どこまでもエロとグロ、それだけでこの映画は成り立っている。


 ストーリー性やその他の要素なんて上記の要素を一本の映画として成り立たせるための添加物にすぎないのです。偉い人にはそれがわからんのです!わからんのが正常なのです!だからあなたは偉いのです!





 とにかくピラニアが派手に大暴れしてなんもかんも食い尽くす!人体破壊の量も半端じゃなく、比喩抜きで血の海状態。そしてピラニアが暴れない作品のテンションがダレる場面はとりあえず女を脱がして間を持たす!いやピラニアが暴れていても脱がす!高尚なことなんて何一つ考えていない!どこまでも徹底的にそれを追求している。


 あまりにも単純明快すぎて逆に美学を感じるレベル。ここまで見ていて気持ちいい映画は久しぶりだな~とツンは感動しました。悪趣味は罪じゃないって誰かが言っていたけどホントだよな~ってしみじみと思わせてくれます。


 でもこの映画、エンターテイメントとして意外としっかりした作りだと思うんですよ。サービス精神旺盛というかB級感をもっと徹底するなら正直もっとグダグダした映画でもアリなんじゃないかと思ってしまうぐらい。


 しかし自分がこれを観たのは残念ながらDVD・・・これほど映画館で観なかったことを後悔した作品も久しぶりです・・・観たかったなぁ・・・3Dで無駄にやたら飛び出すピラニアとおっぱい・・・。





 ちなみにツン的お気に入りのシーンはピラニアから逃げるために海にいる人間を轢き殺す事もおかまいなしで男がボートで逃げる場面。あの人の頭の中のDIO様が「関係ない、行け」って言ったんだろうなぁ・・・まぁガンガン轢き殺すわスクリューに巻き込まれるわで景気のいいシーンでしたよ。


 こんな感じなんで真面目な人は観ちゃ駄目だと思います。そうじゃない方にオススメ。というかそれは今まで紹介自分が紹介してきた映画全てに当てはまるんだけどさ・・・。





 僕はこの映画を“家族”で和気藹々と観てました。全員大ウケ。


 ・・・アレ?じゃ、うちの家族って・・・。


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記:ツン


2012年2月8日水曜日

映画 『くたばれ!ハリウッド』 超絶主観による真実





 『くたばれ!ハリウッド』/2002/監督:ブレット・モーゲン&ナネット・バースタイン/米/カラー/2012.7記

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 「どんな話にも3つの側面がある。相手の言い分、自分の言い分、そして真実。誰も嘘などついていない。共通の記憶は微妙に異なる」冒頭で主人公ロバート・エヴァンズが語る言葉。ドキュメンタリ映画に括られているが、貴方が思い描くジャンル像を打ち砕いてくれる映像的刺激に満ちた、実にアニメ・漫画的なドキュメンタリ映画である。





 さて、この映画はハリウッドの名プロデューサー、ロバート・エヴァンズ氏の一代記だ。全編ナレーターがエヴァンズ本人の独り語りという素敵使用。彼は「ローズマリーの赤ちゃん」でロリコンロマン・ポランスキーを見出し、「ゴッド・ファーザー」で“我儘王様”フランシス・フォード・コッポラを一流監督のレールに乗せさせた凄い人だ。そんな彼の“主観”全開でドキュメンタリにおける公平な編集など完全撤廃してエンターテイメントに仕上げられているのがこの映画。


 ドキュメンタリをあまり見ない人にとって、このジャンルは記録映像とインタビュー映像の組み合わせというのが一般的なイメージだろう。そうした硬いイメージで捉えられがちなのが残念だ。実際は、登場人物の心理描写や作劇のルールという、劇映画だからこそ存在するルールが無いので、やりたい放題できるのがこのジャンルの魅力。





 「真実を映すのがドキュメンタリ」というルールがあるじゃないかと言われそうだが、それは罠だ。記録された映像は、一見して真実を切り取ったかのように見えるが、撮影者が何を選んでとったかという選択行為が行われている。また、撮影した後でも、どれを公開する映像につかうかという編集行為が介在する。これは映画以前の写真文化から議論されてきたことで、デジタル技術の発展により、それはより顕著になった。


 この映画ではエヴァンズ本人が顔出しNGと言ったので、仕方なく(?)昔の雑誌の切り抜きやら、姉ちゃん達との写真等、ありったけの資料を組み合わせて全然関係ないシーンに組み合わせて一本でっちあげている。スライドショーなんて生易しいものじゃなく、人物と背景をコラージュする事で、動かない写真が動いているように見せているのが実に刺激的。実際の映像をつかわない事で、時間の冗長さから解放されたドキュメンタリは、エヴァンズの濃密な人生をハリウッド史と組み合わせ、90分という実にコンパクトなサイズでエキサイティングに仕上がっている。





 漫画・アニメ的と言ったのは、手法が実に似通っているからだ。漫画やアニメは時間的制約に囚われない。コマやカットの間で時間を操作し、登場人物達の動きを自由にさせる事で、映像的圧縮が可能になり、長大なストーリーや膨大や登場人物がいてもスッキリまとめあげる事が可能だ。アニメや漫画であれば、「撮影されていない場所」なんか存在しない。ありとあらゆる場所にカメラを持ち込み、編纂する事が可能だ。それを実写でやってみせたである。


 意図的にエヴァンズの主観のみで作り上げられた、エヴァンズとその周りの人々の人生。実にあくどい映画だ。純愛のように語られるエヴァンズの結婚はその前後に数回、結婚と離婚を繰り返しているし、コッポラを拾い上げたのはエヴァンズのように語られるが起用を反対していたのはエヴァンズ本人だという話もある。だが、そんな事はどうでもいい。


これはエヴァンズの映画である


 つまり、エヴァンズというカメラが映してきた彼の人生なのである。観客がエヴァンズ本人に成れるのだ。エヴァンズはエヴァンズにしか成れない。彼が今、そう思い出しているのだから、今の彼にとってはそれが、彼の人生なのだ。まさに今、切り取られたエヴァンズの主観。ドキュメンタリ映画である。


映画というものが、ドキュメンタリというものが、如何に虚実入り乱れたインチキな代物であり、エキサイティングで面白くなれるという事を、我々に刺激させる“作品”だ。


※ところで原題を直訳すれば「奴は今も(映画に)居るぜ」といった感じになるのだが、意味不明の邦題も、エンターテイメントの為の編集文化で成り立つハリウッドそのものと、当作品を重ね合わせる事により皮肉でつけたタイトルとも解釈できる。


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記:ヒロト


2012年2月5日日曜日

映画 『狩人と犬、最後の旅』 許されぬ自然に帰す個人/
映画 『ボルベール<帰郷>』 法に優先されるは家族/ 二本立


『狩人と犬、最後の旅』
『ボルベール<帰郷>』 ※ネタバレ有





 『狩人と犬、最後の旅』/2004/監督:ニコラス・ヴァニエ/仏・加・独・瑞西・伊/カラー/2012.2.5記

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 2012年1月よりはじまったテレビ東京深夜枠「サタシネ」で視聴。タイトルから「犬映画か。私犬映画嫌いなのよね。お涙頂戴で」とスルーしかけた。つまり動物モノには弱い。一応、雪山が舞台ということで景色映像目的から観ることに。





 実在の狩人ノーマンさんに惚れた監督が彼自身を撮った半ドキュメンタリー。迫る近代化の波で狩場の動物が減り、生活が困窮するなか、半世紀続けた狩人にノーマンは限界を感じ始める。だがダメ犬がリーダーシップとして成長していく姿に、ノーマンさんは彼のためにも暫く狩人を続けようと心を決める。


 狩人とはいえ、道具の維持や犬達の管理には費用がかかる。病気や身体が思うように動かなくなることもある。結局のところ、一度構築された文明社会において、完全なる自然のなかでの暮らしに戻ることは、周囲の世界が許さない。


 主に過酷な雪山での狩猟生活を淡々と描く。思ったよりも犬映画で露骨な感動を誘うような代物ではない。というかストーリー要素は半ドキュメンタリーという事もあり、かなり薄い。とにかく「都会に疲れて動物たちと大自然で暮らしたいわ」という浅はかな幻想を見事に破壊してくれる辛辣な雪山の映像美。



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記:ヒロト






 『ボルベール<帰郷>』/2006/監督:ペドロ・アルモドバル/西/カラー/2012.2.5記

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 不法行為が“日常”の一部のスペインの下町。何があろうと(殺人でも)家族の為に必死に生きる、明るい女達の物語。父親にレイプされかけた娘を庇う母親役のペネロペ。死体を隠す無人のレストランを不法占拠し経営しはじめる彼女に、父親と共に死んだはずの母親が目撃されたという噂が耳に届く。





それらが交錯し……そうだが、ミステリー的には交錯しない


 ペネロペは母を嫌っていた。自分の父親にレイプされており、その事に気づかない母親が憎かったのだ。だが母親は気づいており、娘を守るために父親を殺した。つまり世代を超えてペネロペは憎んでいた実母と同じことをしていたのだ。


 だがミステリーはそこまで。


 彼女達は家族として再生していく。失われた祖母・ペネロペ・娘の関係が築かれていくというわけだ。焼死したペネロペ父や、刺殺された夫は墓参りされて弔われるが、事件が法的操作へ……という展開は無い。


 不法滞在外国人娼婦や、違法売買などが“日常”の一部であり生活である街が舞台。法律だとか社会的正義とかは何処吹く風。彼女たちが何よりも優先するのは家族の生活なのである。神の視座から降り、彼女達の視線に立てば当然の選択だ。





 だが、最後まで“日常”感を奪い、違和感を残してしまうのが、地味な娘とも死んだはずの母親とも似ていない、ノーメイク貧乏設定のド派手メイクのペネロペの美しさとナイスバディ。


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記:ヒロト


2012年2月2日木曜日

映画 『ホテル・ルワンダ』 問題提起とはかくあるべき





 『ホテル・ルワンダ』/2004/監督:テリー・ジョージ/英・伊・南阿/カラー/2012.2.2記

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 二人以上の人間が集まればその間には諍いが生まれる。争いの火種は何だろうか。些細な考え方の違いかも知れないし、互いに譲れぬ主張がぶつかったのかも知れない。もしかすると、ただ虫の居所が悪かっただけかも知れない。


 多様な火種は風で吹き消されるものもあるし、突然天高くまで火柱が起こるものもある。けれど最も性質が悪いのは、長く燻り続ける火種だろう。何かをきっかけにし、瞬く間に周囲に燃え広がるのだから。


 その国の火種はまさにそれであった。





 1994年、中部アフリカに位置するルワンダ共和国で起きた大虐殺。たった100日足らずでルワンダ国民の二割近くがこの世を去った惨たらしい出来事は、人種差別という火種によって生まれたものだった。


 痛ましいこの大虐殺には、ホロコーストにおけるシンドラーのように難民に手を差し伸べた者がいた。その男、ポール・ルセサバギナの実際の行いを基に作られたのがこの映画であるが、単なるドキュメンタリーに留まらず、人種差別問題やそれに対する社会のあり方などを観る者に「丁寧に」訴えかける演出がなされている。


 初めは自分と家族さえ無事なら他を見殺しにしても構わないと思っていたポールは、良心と葛藤しながらも家族を優先し行動する。しかし少しずつ侵食してくる非情な現実に目を背けられず、やがて難民を自分の働くホテルへと導く。


 彼と彼を取り巻く人々の目を通して伝えられる「蚊帳の外」の無機質な責任感。そしてルワンダ国民の心深くに根付いた民族間の差別意識。自らの生まれを憎みながら死んでいく者や、鈍色の狂気をかざす相手に最後まで説得を試みる者などの犠牲者の声。



 それら「見えないもの」を映像化することこそ『映画』であるのだろう。



 私は最後の旅立ちのシーンまで片時も目を逸らせなかった。私もその様子をリアルタイムで見ているような気がしたからだ。ただし、「蚊帳の外」の中から……。





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記:うづき


2012年2月1日水曜日

映画 『世界侵略:ロサンゼルス決戦』 へいお待ち、侵略宇宙人定食バトル大盛り!





 『世界侵略:ロサンゼルス決戦』/2011/監督:ジョナサン・リーベスマン/米/カラー/2012.1.29記

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 よく「宇宙人が強くない」「ドラマが無く脚本が弱い」などのツッコミ意見を目にする本作ですが……


 そんな野暮は言いっこ無し、と申し上げたい!



 例えばアイドル映画は、何よりそのアイドルを光らせる映像を撮る事が目的ですよね。それと同じベクトル、「俺たちの米軍の活躍を撮りたい!」という思いで絵を作っていったらこうなったというか。侵略宇宙人のスパイスは『テキサス・チェーンソービギニング』はじめ、作品に趣味が滲み出てるジョナサン・リーベスマン監督の仕業でしょうかね。





 細菌、コンピューターウイルス、音等々、侵略宇宙人ものといえば、人類が逆転の鍵になる“宇宙人の弱点”を見つけて大反撃するのが定石です。しかし本作は、効果的にダメージを与える為の弱点探しはするものの、基本的には真っ向から宇宙人と戦ってついには打ち勝つという、なんだか爽やかさすら感じる堂々正面突破の手を打ちます。This is 米軍、退却NO! 「ウチはそんな小難しい料理はできねぇけんど、まぁまぁ食いねェ」と、ミリタリーなドンパチを大盤振る舞いしてくれるスタッフのこの心意気!


 ならばそれを受け止めて、ごちゃごちゃ言わずにひたすら描かれる真っ向勝負の戦闘シーンを味わおうじゃありませんか!ロサンゼルスでブラックホーク・ダウンしたい! それでええじゃないかええじゃないか!


 その戦闘シーンに特化した割り切った構成、各シーンのシチュエーションは、北米を中心に人気のミリタリーFPSゲームにも影響を受けているように感じました。数々の戦争映画はFPSゲームに影響を与え続けてきましたが、ここである種の逆転現象が起こっているのが面白いですね。


 ちなみに本作が好きな方にはコールオブデューティーのモダン・ウォーフェアシリーズがオススメ。 類似の戦闘シチュエーションも多くありますし、音楽はハンス・ジマーはじめ錚々たるメンバーが担当しています。(3は本作と同じく、ブライアン・タイラーが音楽を担当!)





 おまけ:最強姐御、ミシェル・ロドリゲスも大活躍で満足ですね! おお、「生き残ったのは美人だからじゃない」の言葉通りに、「サノバビ○チ!」と罵りながら、エイリアンを蹴たぐるその雄姿よ……!


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記:マツ


2012年1月30日月曜日

映画 『チャーリー』 重力さえも乗り移ったかのようだ





 『チャーリー』/1992/監督:リチャード・アッテンボロー/米/カラー/2011.01.29記

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 時代を超えて愛される、そんな喜劇王チャップリンの自伝を下敷きとした映画。山高帽、ドタ靴、ぶっかぶかのズボンにちょび髭、直接的にせよ間接的にせよ、彼の演技を知らない人はいないと思う。そんな彼が如何にして生まれ、
そしてなぜアメリカを去ることとなったのか。そして20年後、彼を追放したアメリカのアカデミー賞特別賞に……


 主演はロバートダウニーJr、今やアメコミヒーローやイギリス紳士、シャーロック・ホームズを務める彼だが、この作品では第65回アカデミー主演男優賞ノミネートそして第46回英国アカデミー賞主演男優賞を受賞している。


 1992年は少し面白い映画事情で、1980年代後半から始まった「バックトゥザフューチャー」「バットマン」、そして「ターミネーター2」などハデなSFX映画が少し収束してきた時代だ。代わりに「JFK」「天使にラブソングを」「ボディーガード」等、演技力演出力に力を入れた作品が非常に多い。この作品も例に漏れず、ハデなCGも特撮もない。ただただ丹念に出演者の演技を計算していく、時折パロディとしてチャップリンの映画の中でも多用された早送り、巻戻しだけが使われる。これぞ正統派のフィルム映画の撮り方なのだ、と言わんばかりの演出。このこだわり方こそが、彼の生涯を描く事ができる唯一の方法だろうと私も思う。





 特にチャップリンの扮装をした時のダウニーは、まるで重力のかかり方すらも、チャップリンが乗り移ったかのようである。願わくばこのキレの時にそのままチャップリンの残したアイデアなどを映像化……は無理だったか


 ただしこの映画、残念でならないことが一つ。脇を固める出演者たち。

ダン・エイクロイド

ミラ・ジョヴォヴィッチ

アンソニー・ホプキンス

そうそうたるメンバーであるにもかかわらず、ほぼ印象に残ることがない。脇役の一人とするには皆惜しいのだが……。



 それだけ「一人の男」を主軸にブレずに作られた映画ということなのだろう。



 私はこのDVDだけでなんどでも笑うことが出来るし、また何度も泣くことが出来るのだ。





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記:ドーガマン


2012年1月29日日曜日

映画ラジオ 第03回 『ホーボーウィズショットガン』




『ホーボーウィズショットガン』/2011/監督:ジェイソン・アイズナー/加/カラー/2011.12.24収録

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第03回『ホーボーウィズショットガン
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16826941






破天荒な内容すぎて盛り上がり10分越えちゃったてへぺろ(・ω
ニコニコ動画です



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BGMはフリー音楽素材 Senses Circuit
http://www.senses-circuit.com/
より、#09:Loop#104をお借りしました。/





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声:ヒロト ツン

2012年1月28日土曜日

映画 『魔女』 映画が紡ぐ悪夢的絵画





 『魔女』/1922/監督:ベンヤミン・クリステンセン/瑞/モノクロ/2012.1.27記

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 最も初期に作られたホラーと呼ばれるが、内容はホラーと言うよりは魔女の歴史を図版や再現ドラマによって説明していくといったドキュメンタリータッチの強い作品である。


 そういったわけでストーリーらしきものは魔女の生活や中世の魔女裁判、魔女文化の考察と言ったものがオムニバス的に入るくらいのものである。本作の魅力は画面に展開される奇怪極まりない美術にあり、再現ドラマにおいて登場
する悪魔達は、特殊メイクを施した役者の演技によるものの他、操り人形や人形アニメーションと思われるミニチュアによる表現なども駆使しており、それらの初期映画ならではのぎこちない動きがかえって禍々しくも幻想的な雰囲気を
醸しだしてくれている。





 また役者が演じる悪魔のメイクも時代的な制約から、かなり粗い作りで更にそういう人選をわざと行ったのかと思わせるほど腹部がぽっこりと出たものばかりが扮しており、あたかも中世の絵画に描かれた悪魔達がそのまま這い出てきたかのような醜悪さで現代の映画とはまた違ったリアリティを生み出しているのである。セットや他の演者にもその妙なリアリティは現れていて、とにかくその表現が汚らしいのだ。


 太り肥えた司祭を誘惑するお世辞にも美人とは言いがたい中年女、ボロボロの衣装を纏った老いた魔女、素手で口元をベタベタにしながらスープを貪る物乞いの老女…とにかく生理的な嫌悪を覚える表現に満ちている。 そうかと思えばシルエットを多用した幻想的で美しいシーンも随所に散りばめられており、映画全体の品格はむしろ高い映画と感じるほどである。


 この醜悪かつファンタジックな映像をどこかで感じたことがあるなと思い調べたところ、クリステンセンは後の名匠、カール・ドライヤーに多大な影響を与えたと知り、納得がいった。 登場人物の生々しい醜悪さとそこに漂う幻想的な雰囲気はドライヤーの作品『裁かるゝジャンヌ』『ヴァンパイア』で感じたものと非常によく似ていたのである。


 『魔女』の放つ観る者に悪夢へ迷い込んだような戸惑いを覚えさせる不可思議な魅力はしっかりと後の名作に引き継がれていたのである。 余談だがそれを前提に、『魔女』とドライヤーの両作品を見比べると明らかにリスペクトしたと思われるシーンが見受けられ、そういった発見も含めて作品を再度楽しむことができる。



*『魔女』原題:Haxanと同名曲「Haxan」のArcane Malevolenceによる映画引用PV


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記:るん


2012年1月26日木曜日

映画 『片腕マシンガール』 ファンタスティック・クレイジー・ジャパン!!





 『片腕マシンガール』/2008/監督:井口昇/米/カラー/2011.01.26記

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 弟を服部半蔵の末裔のヤクザの息子率いるいじめグループに殺された女子高生アミが、弟の復讐を始めるが、復讐に失敗し捕われてしまう。
 左腕を切断されてしまいながらも、殺される前になんとか逃げ出す事に成功。
同じくいじめグループに息子を殺された夫婦の助力によって、なくした左手の替わりにマシンガンを装着し再び弟の復讐のためにアミは立ち向かう!

 シンプルな復讐劇。それも美少女がセーラー服で片腕がマシンガン・・・いかにも趣味丸出しなB級アイドル映画である。
ぼんくら映画好きな自分としてはこの時点でそそられる要素の塊のなのだが、他のこの手の映画との決定的な違いは主人公のアミ演ずる八代みなせの魅力にある。鬼気迫る表情、誰かを殺す度に啖呵を切るところなど本当にカッコよく、とてもこの映画が初の演技であるとは思えない迫力がある。目力もあるし。

 主人公は腕にマシンガンを装着していて、敵は服部半蔵の末裔のヤクザという設定の時点で悪ふざけとしか思えないし、他にも腕をてんぷらにされるシーンや、中学生忍者隊(ジャージ姿)やら空飛ぶギロチンやらドリルブラやらも登場するしどこかうそ臭い日本感と全編に渡って悪趣味で過剰でチープな人体破壊と血しぶきの嵐で悪ふざけのすぎる内容だけれども、主役の演技の説得力のおかげでチープ感を悪ふざけでごまかすだけで終わらないカオスな笑いの雰囲気を作り出していて見ていてとても気持ちいい。





 この手の安っぽさを笑いに変えるためには、どこか一箇所でも引き締まった要素がないとただの学芸会になってしまうのだが、この映画ではそれが見事主役によって支えられていて安心して最後まで映画を楽しめることができた。


 個人的にはこういったグラインドハウス的な作りの映画としてはここ数年で一番好きな映画かもしれない。



 そんなわけで井口昇監督の作品には最近とても注目しているツンなのであった。

 グラインドハウス的なチープかつバイオレンスな物がお好きな方なら是非。このタイトルで片腕ドラゴンがすぐ思いつく人も見て損なし。

 あとは三白眼美少女に睨まれたい人にもオススメ。

 ちなみに日本で作られた映画ですが、アメリカの映画会社が出資していて日本での公開予定も当初はなかったようで、この映画はアメリカ映画に入るそうです。へぇ~。




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記:ツン